安倍内閣で「財務大臣」を務めている「麻生太郎さん」。
大変なことになっていますね…。
元々「総理大臣」を務めていた方でもある麻生さん。
その時にも、いわゆる「失言」が目立っていました。
また、ファッションも特徴的で、トレードマークとなっていた「ボルサリーノ」の帽子を被っている姿は、「マフィア」のようだと噂されたことも。
麻生さんは、今回もそうなんですが、基本的に「態度が偉そう」というか、「デカく」見え、あれは反感買うだろうな~という気がします。
そんな中、あるインタビューを見ていたら、麻生さんについて、「あの方は出が違うからしょうがない。一般の感覚なんて持っていないんだから。」と答えている方がいました。
そこで、麻生さんの「出」について興味が湧いたので調べてみたら、これぞ「リアル華麗なる一族」という感じの「家系図」が!
それでは早速見ていきましょう!
麻生太郎の家系図は?
出典:http://d2kwcz501vadsp.cloudfront.net
まずは、こちらの「麻生さんの家系図」を見ていきましょう!ちょっと小さくなってしまったので、大きなもので見たいという方は、こちらをご覧ください。
「麻生太郎の家系図」
現代の日本の有名政治家たちを見ていると、その殆どが「二代目」、あるいは「三代目」と、いわゆる「世襲」をしてきています。
麻生さんも、そのうちの「1人」と言えるでしょう。
まず目につくのが「吉田茂」の存在。
吉田氏は、麻生さんの「祖父」にあたるんですね。
日本の、第45,48,49,50,51代「内閣総理大臣」を歴任された方で、その強い「リーダーシップ」で、戦後の日本を「立て直した政治家」の1人。
吉田氏は、風貌や、葉巻を嗜む姿などから「和製チャーチル」とも呼ばれ、門下生には、佐藤栄作氏、池田勇人氏、田中角栄氏など、「名だたる政治家たち」がいます。
そして、「大久保利通」の名前も。
大久保利通は、「薩摩藩士」で、西郷隆盛、木戸孝允らと共に、「明治維新」を語る上では欠かせない、文字通り「歴史上の偉人」です。
麻生氏は、大久保利通の「玄孫」にあたります。
更に、麻生氏の家系図を見ていると、「皇族との繋がり」があることも分かりますし、現総理大臣の阿部さんや、宮沢喜一さん、橋本龍太郎さんといった、元総理大臣たちとは「遠縁の親戚」。
もう凄すぎます。
生まれながらにして、将来は「日本の中枢」に行くことが決まっていたようですね。
麻生太郎の息子は?実家の家族の子供や長男と妹も凄い!
ここからは、麻生さんの「家族」について見ていきます。麻生さんは、1983年に「結婚」していますが、そのお相手の「千賀子さん」は、元首相の「鈴木善幸氏の娘」(三女)。
子供は、「1男1女」をもうけています。
麻生氏の息子で「長男の麻生将豊さん」は、「慶應義塾幼稚園」からエスカレーター式で進学。
「慶應義塾大学」を卒業すると、父親である麻生さんの地元の福岡県、飯塚市にある「トヨタ自動車九州」に入社。
現在は、「株式会社エクストーン」の「取締役代表」に就任しています。
この会社は、「ニコニコ動画」の市場調査を行っている会社で、「麻生グループの会社の1つ」だということ。
将豊さんは、1984年生まれということなので、今年「34歳」になります。
34歳で、取締役代表か~^^;
ただ、長男ですし、いずれは「政界に進出」なんていうこともあるのかもしれません。
最後に、麻生さんの家系図の中で気になる人を「もう1人」だけ。
麻生さんの「妹」になる、「麻生信子さん」。
信子さんは、「聖心女子学院」初等科、中等科を経た後、イギリスに渡り、「ロスリンハウス・カレッジ」へ入学。
この学校は「花嫁学校」と言われていますね。
そして、ロスリンハウス・カレッジを卒業後は、「松濤幼稚園の英語教師」としても働いていました。
その信子さんですが、16歳の時に、「寛仁親王」(当時26歳)から「求婚」されています。
この時は、年齢がまだ若すぎるということで、その8年後、1980年4月18日の「皇室会議」を経て、「婚約」、その年の11月7日に「ご結婚」。
現在は、寛仁親王のお妃様になられて、「寛仁親王妃信子様」となり、「彬子女王」と「瑶子女王」をもうけています。
こうしてみてみると、麻生家は、皇室、旧華族との結びつきが「非常に強い家系」なんですね。
どっか、端っこの方でいいから組み込まれたかったな、なんて思いました^^;
という訳で今回は、「麻生太郎さんの家系図」について見てきました。
最後までご覧になって下さって、どうもありがとうございます!