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TOKIO出典:http://www.os-firm.co.jp

「山口達也さん」が起こしてしまった「事件」について、TOKIOの他のメンバー4人が「謝罪会見」を行いました。

その中で、一番、「溢れてくる涙」を堪えきれなかったのが、「松岡昌宏さん」。

松岡さんは普段から山口さんの事を「兄ぃ、兄ぃ」と呼んで慕っていましたので、今回のことで、「落胆する気持ち」も大きかったのでしょう。

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松岡昌宏と山口達也はコメントから仲良し?不仲?

今回開かれた「会見」を見ていて、一番「自分の言葉で喋っているな」と思ったのが、「松岡さん」でした。

山口さんが、自身の甘さからこの様な「スキャンダル」を起こしてしまい、「その甘さの原因にTOKIOという存在があったのだとしたら、そんなグループは無くしてしまった方がいい」という言葉。

TOKIOという名前が大きくなったことで、山口さんが「調子に乗ってしまった」とも考えていたのでしょう。

そして、自ら「辞表」を用意し、それをジャニーズ事務所に提出するのではなく、「メンバーに預けた」山口さん。

松岡さんは、その行為に対して、「それはズルい。」と、感じたそうです。

自分が逆の立場だったら、「この辞表を提出出来るのかと」。

メンバーがそう感じることを予測して辞表を託したのであれば、やっぱり「山口さんは甘いと」言わざるを得ません。

辞表は現在、リーダーである「城島茂さんが預かっている」ということです。

普段のTOKIOを見ていると、年齢的には下の方になる松岡さんですが、グループ内での「発言権も高く」、リーダーの城島さんや、国分太一さんに対しても「強めのツッコみを入れる場面」が多々ありました。

一方、グループ結成当初、「デビュー直前にメンバー入りし」、戸惑っていた最年少の「長瀬智也さん」には、気を使わないように「タメ口でいいよ」と声を掛けるなど、「気遣いの強い人」でもあります。

そんな松岡さんが、「兄ぃ、兄ぃ」と呼び、「本当の兄のように慕っていた」のが、「山口さん」でした。

きっと、なんでも出来て、体力もある山口さんのことを、同じグループの一員として「頼もしい存在」だと思っていたのでしょうね。

そんな山口さんに対して、松岡さんは「あんた病気だよ」という言葉を掛けたそうです。

この時の松岡さんの心情を考えると、かなり「辛いもの」がありますね。

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松岡昌宏と山口達也のエピソード話は?

TOKIOは元々、ジャニーズJr.時代に中々デビュー出来なかった、城島さんと、山口さんが組んだ「バンド」が「母体」になっています。

そこへ国分さんが加わったものの、一向にデビューの動きはなく、そこへ松岡さんも加入。

この時、松岡さんは、「(ここに加えられたってことは)俺もデビュー出来ないのか?」と、不安を抱いたこともあったそうです。

当時、メンバーたちは、「共同生活」を送りながら、かなりの「極貧時代」を経験しています。

松岡さんの実家から送られてくる「お米」などを、「皆で分け合っていた」というエピソードも。

グループには、グループにしか分からない「絆」のようなものがあり、その中でも、TOKIOの絆というのは、「固い」と思います。

この様な事件が起きても、山口さんを「アッサリ切る」ということが出来なかったのも、その「証拠」でしょう。

ジャニーズ事務所のTOKIOを紹介するホームページでは、既に「山口さんの写真はありません」。

スキャンダルの内容を見ても、山口さんが「TOKIOに戻って来ること」は、容易ではないでしょう。

松岡さんは、山口さんに対して、まずは「(病気を)治せ!そこから本当の謹慎生活が始まる」と語っていました。

山口さんは、謝罪会見の席でもハッキリと「お酒を絶つ」ということが言えませんでしたから、それに対しての「松岡さんの言葉」だと思います。

「頼れる兄貴」であった山口さんの姿は、今の松岡さんの中にはないかもしれませんが、時間をかけて、失った信頼を少しでも取り戻していってもらいたいなと感じました。

という訳で今回は「松岡昌宏と山口達也の関係」について見てきました。

最後までご覧になって下さって、どうもありがとうございます!

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