女優に歌手、そして舞踊家としても活躍した「朝丘雪路さん」が亡くなりました。
「82歳」ということですが、最近では「アルツハイマー型認知症」も患っていたと言います。
俳優で夫の「津川雅彦さん」らによる「介護生活」を送っていたそうですが、最期は「自宅」で静かに息を引き取ったということ。
朝丘さんといえば、バラエティ番組などで見せる「素敵な笑顔」が印象的で、また「物凄くスタイルが良い方」でもありました。
その生い立ちからして「生粋のお嬢様」で、どこか「浮世離れ」した雰囲気のする昔ながらの芸能人というイメージでしたね。
朝丘雪路のお嬢様エピソードは?
朝丘さんは、とんでもない「お嬢様」としても有名で、数々の信じられない「お嬢様エピソード」があるということですので、早速見ていきましょう!- 3歳で「日本舞踊」を始める
- 小学校へは「人力車」で通う
- 「教育係」がいて付きっきりの生活
- 学校の帰りには「銀座」をブラブラ
- 「シラス」の目が怖かったらしく、祖父母が一匹ずつ目を取り除いてくれた
- 中学生の頃、1人で通学したら「迷子」になった
- 海水浴へは行ったことがなく、「海は危険」だと教えられていた
- 夏休みはホテルの「スイートルーム」を貸し切り、友人も呼んで過ごしていた
- 海外に「留学」するも、本人より先に「お手伝いさん」が現地にいた
- 結婚するまで「自分でお金を払って」買い物をしたという記憶がない
- 結婚してからの買い物時、現金の支払いは全て「1万円札」
- 傘の開き方を知らなかった(父親が(朝丘さんが)指を怪我したら大変だと考え傘を持ったこともなかった。)
- ファーストキスは21歳の時で、映画の撮影だった
- 火が怖いので料理はしない
- 洗濯機の使い方が分からないので洗濯は出来ない
- 掃除機の使い方も分からないので掃除もしない
- 娘のオムツ替えは家政婦に任せっきり
- 基本的に家事全般は家政婦と事務所スタッフに任せていた
- 娘の授業参観時、立っていると足が痛くなったので、椅子が用意され座る
- 自動販売機の購入の仕方が分からなくて、「朝丘です」と語りかければ買い物が出来ると思っていた
- コンビニでどうしたら良いか分からなくて、取り敢えず着ていたコートをレジに預けようとした
もうここまで来ると「気持ちがいい」です!
本当に「大事にされて育てられたんだな~」という印象。
あの独特のオーラ、そしてどんな人に対しても「優しく接する姿」は、この「心の余裕」から来ていたのかもしれません。
朝丘雪路の実家の生い立ちは父親の愛人の子?
まさに「箱入り娘」という感じの朝丘さん。出身地は、「東京市京橋区(現在の東京都中央区)築地」です。
朝丘さんの「父親」は、日本画家の「伊東深水さん」で、母親は、料亭「勝田」の女将だった「勝田麻紀子さん」。
ただ、父親には「本妻」がいて、朝丘さんは、いわゆる「妾(めかけ)の子」だったということ。
それでも父親の朝丘さんに対する「愛情」は深く、常識を遥かに越えた「過保護」っぷりは、思春期を越えても続いていたそうです。
その「過保護」っぷりを見ていた、父親の友人から、「こんな浮世離れした生活をさせていては、娘さんがダメになる」と注意を受けたこともあったとか。
それでも父親は中々納得しませんでしたが、朝丘さんは結局、親元を離れ「宝塚音楽学校」へ入学を果たし、同校を「卒業」しています。
ちなみに宝塚では、「娘役」として人気を集め、評価も高かった朝丘さん。
しかし、後年になって、宝塚へは「裏口入学した」と発言し、関係者をドキッとさせています。
朝丘さんによると、「宝塚に入りたいと父に頼んで、(宝塚音楽学校に)裏口入学したの」とのこと。
何でしょう、この何でも思い通りっぷりは笑
実は先程触れた、娘の溺愛っぷりを心配する父親の友人というのが、劇団の創始者「小林一三さん」だったそうで、すんなりと「事」が進んだんだとか。
元々、父親と小林さんは「旧知の仲」だったんですね!
そんな「天然のお嬢様」だった朝丘さん。
突然の訃報で驚きましたが、心よりお悔やみを申し上げます。
という訳で、「朝丘雪路さんのお嬢様エピソード」について見てきました。
最後までご覧になって下さって、どうもありがとうございます!