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増原裕子出典:https://woman-type.jp

「経済評論家」としてテレビなどでも活躍している「勝間和代さん」が、「同性のパートナー」と「交際中」であることを告白。

大きな話題を集めています。

勝間さんの「お相手の女性」として報じられたのは、「増原裕子さん」という方。

かなりの「美人さん」です。

その増原さんですが、一体どのような「人物」なのでしょうか?

早速調べて行きましょう!

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増原裕子の経歴や離婚相手の東小雪の職業は?

「増原裕子の経歴・プロフィールは?」

  • 生年月日:1977年12月27日(40歳)
  • 出身地:神奈川県横浜市
  • 学歴:慶應義塾女子高等学校→慶應義塾大学文学部→慶應義塾大学大学院フランス文学修士課程卒業
増原さんは、「慶應の大学院」を「卒業」しているんですね!

こんなに「高学歴」な方だとは知りませんでした。

大学院を卒業した後は、ジュネーブ公館や、会計事務所、IT関連の会社で勤務。

その後、株式会社「トロワ・クルール」を設立し「経営者」に。

独立起業し、代表取締役となった増原さんは「ダイバーシティ」などを「経営」しています。

また、「LGBT支援活動」にも力を入れており、経営者や管理職、人事担当者、営業職や労働組合などを対象とする「LGBT研修」を積極的に行っています。

「増原裕子の離婚相手の東小雪の職業は?」

増原さんについて調べていくと、「離婚」というキーワードも出てきます。

どうやら、過去に増原さんは「結婚」、「離婚」を経験していたようですね。

増原さんの前のパートナーは、「東小雪さん」。

「元タカラジェンヌ」として活躍していた方で、「LGBTの活動家」としても有名です。

「東小雪の画像」

2005年、宝塚歌劇団に「第91期生」として入団した東さん。

「あうら真輝」という男役で、「花組」からデビューしています。

しかし、花組に配属されて「1作目」の公演の「開始2週間後」に「病気」のために舞台を「降板」。

その後、復帰出来ないままに、2006年宝塚を「退団」しています。

宝塚退団後の、2010年。

東さんは「LGBT支援活動」をスタートすると同時に、自身が「レズビアン」であることをカミングアウト。

「セクシャル・マイノリティ」の方たちのためのイベントを数多く主催。

現在では、テレビやラジオに公演、また執筆活動も行うなど、活動の幅を広げています。

また、前パートナーである増原さんの経営する会社のスタッフとして、積極的に「LGBT支援活動」を推進していました。

増原さんとは、公私共に「良きパートナー」だったようですね。

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増原裕子は妊娠して子供がいる?

増原さんと東さんは、2012年に「同棲生活」を開始すると、その翌年の2013年3月、東京ディズニーシーで「同性結婚式」を挙げ「結婚」。

この時は大きな話題を集めました。

2人の出会いは、2011年春に行われた「LGBTシンポジウム」のトークイベント。

この時「ゲスト」として招かれたのが「東さん」で、「増原さん」は「スタッフ」として参加していました。

そこから意気投合し、「恋人関係」になっていったようですね!

ちなみに、同性で日本のディズニーリゾートで挙式をしたのは、増原さんと東さんが「初めて」だったということ。

2015年11月5日には、「パートナーシップ証明書」の「第一号」を受理されています。

しかしその「約2年後」。

2017年12月25日に「パートナーシップを解消」。

証明書も返還し、事実上の「離婚」ということに。

2人が「離婚」に至った理由については詳しくは明かされていません。

男女の離婚もそうですが、同性同士の離婚にも理由は1つではなく、「色々な原因」があるのでしょう。

増原さんと東さんに、「子供はいません」でした。

とはいっても、普通に考えると女性同士なので、「妊娠」は出来ません。

しかし2人は、「本当に子供が欲しかった」らしく、こんな「本」を2人で発表しています。

「女どうしで子どもを産むことにしました。」

結婚生活は長くは続きませんでしたが、一時は「2人で子供を育てること」を真剣に考えていたようですね。

結果的に子供を授かることはなく、「離婚」となってしまった2人ですが、やはり「母性本能」もあったでしょうし、結婚までしたのなら、当然な「欲求」として「子供を望んでいた」のかもしれませんね。

という訳で今回は「増原裕子さんの経歴や離婚歴」について見てきました。

最後までご覧になって下さって、どうもありがとうございます!

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