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麻原出典:https://www.sankei.com

日本国内で起こった最悪のテロ事件の「首謀者」である、オウム真理教の教祖「麻原彰晃」こと、「松本智津夫元死刑囚」の刑が執行されました。

そして刑の執行前に、松本元死刑囚が「遺していた言葉」として、「自身の遺体を四女に引き渡してほしい」という希望を伝えていたようです。

松本元死刑囚には、この四女の他に、「3人の娘と2人の息子」、そして「本妻」の女性がいるのですが、なぜ「四女」を指名したのでしょうか?

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松本智津夫と四女の松本聡香の関係は?

松本元死刑囚の四女は、ペンネーム「松本聡香」として、著書「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」を出版するなどの活動を行っている方。

既に「教団との関係は絶った」と宣言もしています。

また聡香さんは、一度も松本元死刑囚のことを「父親」と呼んだことはないそうです。

オウム真理教の教祖「麻原彰晃の四女」として生まれた聡香さん。

生まれながらにして、教団の「幹部」の位を与えられていました。

しかし、後に彼女は、幼少期には「かなり酷い仕打ち」を受けていたと告白。

2,3歳の頃から、「窓の無い部屋」に閉じ込められ、ほぼ「監禁状態」。

真冬に「薄着」で何時間も立たされたり、まともな食事も与えてもらえず、「命の危険」を感じるくらいの「虐待状態」の様な環境で育ったとも振り返っています。

一連の「オウム真理教の事件」が起こった時には、まだ幼く、よく状況も把握できていなかった、聡香さん。

「地下鉄サリン事件」が起こった時には、「5歳」でしたからね。

事件後、やっと普通の小学校に通えることになっても、「麻原の娘」という理由で、「酷いイジメ」も受けたそうです。

そんな状況から抜け出すために、2006年、17歳の時に「家族との縁を切る」ため、自立を考えます。

この時に、彼女の「後見人」になったのが、ジャーナリストの「江川紹子さん」でした。

しかし、翌2007年。

「宗教に戻ります」

というメッセージを残して、江川さんの元から、謎の「失踪」。

ただ、本当に教団に戻った訳では無かったようです。

その後の2010年に、著書「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」を出版しています。

これは「完全に教団とは決別した」という意思表示だったのか。

このことから、自分が江川さんの元にいることで、「江川さんに何か迷惑がかかる」ということは避けたいと考えたのか、それとも、「完全に1人で独立し、生きていきたい」と思っていたのか、どちらかだったのではないかという気がします。

ここまで見てみると、松本元死刑囚との「関係」は、幼少期から現在まで、決して「良好」と呼べるものではなかったようです。

というか、逆に両者の間には、「深い溝」があるというか、聡香さんは、徹底的に「自分の置かれた環境を恨んでいた」ような感じさえ受けます。

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松本智津夫の四女の松本聡香の経歴や学歴は?なぜ遺骨を?

「松本聡香の経歴や学歴は?」

そんな聡子さんですが、先程触れたように、事件後、普通の「学校生活」を送ろうとしても、中々難しかったようですね。

確かに「麻原の子供が同じ学校にいる」となったら、通っている子供たち、そしてその保護者たちだって、「拒否反応」を示すでしょう。

現に、聡子さん以外の、姉弟たちは、何度もこの問題で「学校側を訴える訴訟」を起こしています。

しかし、聡子さんに関しては、通っていた学校、また受験した学校を「訴えた」という報道はありません。

そのため、彼女の通っていた学校、通おうとしていた学校についての情報は出てきませんでした。

「なぜ遺骨を?」

最後に、なぜ松本元死刑囚は、聡子さんへの遺骨の「引き渡し」を希望したのでしょうか?

刑が執行された松本元死刑囚の遺体は、東京都内の火葬場にて「火葬」。

その後は、彼の希望通りに「四女(聡子さん)」に、遺骨が引き渡される方針が「決定」したそうです。

しかし、今でも松本元死刑囚を「信仰」している信者たちはいて、その信者たちにとっては、「遺骨=シンボル」となります。

つまり、教団との関係を絶っている聡子さんが、遺骨を手にすることには「納得が行っていない信者」もたくさんいるということ。

このことは、警視庁も重々承知で、「遺骨の奪還作戦」など、不測の事態が発生しないように「警戒」を強めているそうです。

元々、松本元死刑囚の刑執行後に、遺体の引き渡しを願い出たのは、「妻」、そして「長女と聡子さん以外の姉弟たち」でした。

妻と姉弟たちは「連名」で、遺体引き渡しの「要望書」を提出しています。

聡子さんは「家族との縁を切っている」ため、この要望書に名前は載っていません。

また要望書には、「極秘の安置所に安置し、葬儀などの儀式はせず弔い、遺骨は金庫に厳重に保管管理する」とも記されていたそうです。

しかし、松本元死刑囚本人が、「四女」への引き渡しを「希望」したということで、妻らの要望は「却下」されたということですね。

このことに対して、妻らは、刑が執行される前の松本元死刑囚の「精神状態」を考えたら、そんなことを「自分の意思で希望する」とは思えないとしています。

裁判が終わった後の松本元死刑囚は、まともな会話も出来ない状態で、家族と面会をすることも出来なくなっていました。

警察当局も、松本元死刑囚の遺体が「信仰対象」にされたり、保管管理する以外に、何らかの「利用」をされることを懸念しているのかもしれません。

ちなみに、聡子さんは、松本元死刑囚が遺体引受人に自分を「指名」したということに対しては、「コメントしません」という態度を取っています。

真相は分かりませんが、松本元死刑囚が、本当に「精神に異常」をきたし、正常な判断力を失っていて、「意思の疎通が出来ない状態」にあったのだとしたら、警察側と聡子さんの間で「何らかの話し合い」が行われていたのかな、という気もします。

という訳で今回は「松本智津夫と四女の松本聡香の経歴や学歴と関係は?なぜ遺骨を?」について見てきました。

最後までご覧になって下さって、どうもありがとうございます!

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