日本国内で起きた「最悪のテロ事件」の首謀者である、オウム真理教の教祖「麻原彰晃」。
平成に起こった事件は、平成が終わる前に「1つの区切りを」、という意味合いもあり、遂に刑が「執行」されました。
しかし最後まで、一連の事件を起こした「本当の動機」については、明らかになることはありませんでした。
非常に各分野で優秀な信者たちを集め、用意周到に恐るべき計画を実行した「オウム真理教」。
そんな教団を作り上げ、まとめていた「麻原彰晃」という人間は、どの様に形成されていったのでしょうか?
麻原彰晃(松本智津夫)の生い立ち!両親や兄弟は?
オウム真理教の教祖「麻原彰晃」の本名は、「松本智津夫」。「1955年3月2日」に生まれた松本智津夫の、出身地は「熊本県」です。
9人兄弟の「7番目(4男)」として誕生した、松本智津夫。
幼少期は、かなり「貧しい家庭」で育ったと言います。
松本智津夫は、「先天性緑内障」のため、左目の視力は、ほとんどありませんでした。
また、彼の長男は「全盲」、5男は「弱視」だったといい、「視覚障害」に関しては、遺伝的な要素が高かったようです。
彼の最終学歴は「熊本県立盲学校」。
最初は、普通学級に入学しましたが、「視覚障害」を理由に「熊本県立盲学校」へと転校したそうです。
ちなみに、全盲の長男、弱視の5男と一緒に、「寄宿生活」を送っていました。
その間、兄弟の両親は、一度も学校を訪ねてきたことは無かったそう。
そのため、松本智津夫は、自分たちは、「親に捨てられた」と思っていたと言います。
彼の「祖父」は、熊本県出身の「警察官」。
戦前に「朝鮮半島」に渡り、その地で「警察署長」を務めていました。
そして松本智津夫の「父親」は、現在の「大韓民国全羅北道益山郡春浦面」で生まれています。
終戦後、朝鮮から家族で引き上げ、伯父を頼りに、「八代」で暮らし、当時の地場産業であった「畳職人」として働いていました。
両親共に「働き詰め」であったため、松本智津夫は、兄や姉が「親代わり」になっていたようです。
学生時代の松本智津夫は、片目の視力があったため、盲学校の他の生徒を「子分」の様に扱っていたと言われています。
具体的に言うと、「窃盗」命じたり、「恐喝」をしたり、かなりの「問題児」だったようですね。
寄宿学校の寮母さんが彼を注意しても、反発し、言うことを全く聞きませんでした。。
一方で、将来は「医学部」に進み、「医者」になることを志していました。
しかし「視覚障害者」の「医師免許取得」は認められていません。
彼は、医師になる道を諦め、「鍼灸師」の資格を取得。
盲学校を「卒業」すると、長男の「漢方薬店」を手伝いながら、「鍼灸師」として働き出します。
麻原彰晃(松本智津夫)がオウム真理教を作ったきっかけは?
長男の「漢方薬店」を手伝いながら、「鍼灸師」として働き出した松本智津夫。しかしこの頃、他の従業員に「暴行」をし、「罰金刑」を受けています。
ここまでを振り返ってみると、やはり「凶暴な一面」というのは、常に持っていたようですね。
この事件があったからかは分かりませんが、その後「東京大学」を目指すため、「上京」し、予備校に通い始めます。
そこで知り合った女性が、「石井和子(松本和子)」。
後に松本智津夫の「妻」となる女性です。
2人は、「鍼灸院」を開業しますが、すぐに廃業し、次は「漢方薬局」を開きます。
しかし、松本智津夫は「保険料の不正請求」や、「薬事法違反」で、警察に「逮捕」。
松本智津夫が、「宗教」に興味を持ち出したのが、丁度この頃だったと言います。
根本仏教系の宗教団体「阿含宗」に入信すると、1982年には「経営塾」などを開いていた「西山祥雲」に弟子入りし、「彰晃」の名前を貰っています。
この時は、「松本彰晃」と名乗っていたようですね。
その後、阿含宗を「脱会」すると、「仙道・ヨーガ・東洋医学」などを結合した「(超)能力開発」の指導を行う「鳳凰慶林館」という学習塾を開設。
「鳳凰慶林館」は、後に「オウムの会」と言う、「ヨガ道場」へと変わっていきます。
また、この頃になると「松本彰晃」ではなく「麻原彰晃」と名乗るように。
この「オウムの会」が、「オウム真理教」の元となった団体です。
オウムの会が、「オウム真理教」と団体名を変更したのが、「1987年」。
最初は、「オカルト雑誌」の広告などを利用し、信者を獲得していきます。
宗教団体の名を語り、オウム真理教を開いた松本智津夫は、教団内の「好みの女性」を、修行の一環と称し、次々と自分の「愛人」にしたりと、やりたい放題。
また信者たちには、人間を◯すことを「肯定」する教えも説くように。
オウム真理教、そして松本智津夫が「暴走」していくキッカケとなったのも、修行中に「信者たちが亡くなったこと」があってからだとも言われています。
自分の言ったことを「妄信的」に信じる信者たちに囲まれ、教団の中では、何でも「思い通り」になった松本智津夫。
段々感覚も麻痺していったのでしょう。
その恐るべき「欲求」は、膨らみ続け、数年後、日本全体を震え上がらせる「狂気」へと変貌、数々の「凄惨な事件」起こしていきます。。
という訳で今回は「麻原彰晃(松本智津夫)の生い立ち!両親兄弟とオウムのきっかけは?」について見てきました。
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