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村田出典:http://saitomo0908.com

現在は「BC栃木」に所属し、「NPB復帰」を目指していた「村田修一選手」が、支配下登録期限となる「7月31日」までに、どこの球団からも声がかからなかったため、現役を「引退」する決意を固めました。

まさかこんな最後になるとは。

村田選手は、現DeNAである「横浜」、そしてFA宣言をし「巨人」入りし活躍した名選手。

昨シーズンオフ、若返りを図る巨人で「構想外」となり「自由契約」になっていました。

その時は、次の「所属先」はすんなり決まると思ったのですが…。

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村田修一は素行や性格が横浜時代に悪かった?

村田選手は、昨年まで「巨人」でプレー。

2017シーズンは、「新戦力」として獲得した「マギー選手」の存在もあり、序盤は出番がありませんでした。

マギー選手と村田選手は、同じ「サード」を定位置としていましたからね。

しかし、村田選手が限られた出場機会で結果を出すと、首脳陣は、マギー選手を「セカンド」に配置。

シーズン後半は、サード村田、セカンドにマギーという「超攻撃的オーダー」を組み、ペナントを戦いました。

結局、シーズンが終わった時には、この様な「成績」を残しています。
  • 試合数:118
  • 打率:.262
  • 本塁打:14
  • 打点:58
確かに、本来の村田選手の実力からしたら「寂しい数字」ですが、きちんとプレー機会を与えてもらえてれば、もう少し「上積み」が出来たでしょう。

また村田選手は、打つだけではなく、サードの守備は未だ球界でも「トップクラス」。

やはりどう考えても、他のNPBの球団から「全く声がかからない選手」では無いと思います。

では何故、村田選手の「獲得」を希望する球団は出てこなかったのでしょうか?

そこで囁かれているのが、「村田選手の素行に問題があったのではないか」という説。

特に「横浜時代」での。

村田選手は、2011年まで「横浜」に所属していました。

当時の村田選手はまさに「全盛期」。

「本塁打王」のタイトルを2度獲得するなどし、「球界の顔の一人」として活躍していました。

その一方で、「素行」に関しては、あまり良くないという噂が流れることも。

少々「天狗」になっていたのでしょうか?

横浜の中では「一匹狼」的な存在で、試合の後に入るお風呂でも、他の選手と一緒に入ったことは無かったとも言われています。

他にもこんな「エピソード」が。
  • 凡退し、ベンチに戻るとふんぞり返っている
  • 全力疾走をしない
  • 試合中ベンチで居眠り
  • チームの和を乱す
  • 試合中、監督室でテレビを見ていた
などなど、どこまで本当かは分かりませんが、この様な話が外に漏れるということは、横浜の中では「かなり浮いていた存在」だったのかもしれません。

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村田修一は移籍先が無く引退で成績は?

村田選手が最後まで「NPB」での現役に拘ったのは、目前に迫った「2,000本安打」を、どうしても達成したかったという思いがあったのでしょう。

昨シーズンまで「1,865本」の安打を積み重ねた村田選手。

順調に行けば、「後1,2年」での達成が十分に可能な数字です。

通常、こういった選手の場合は、最初の所属先であるチームが、功労者として「最後の花道」を用意することは十分に考えられます。

村田選手のケースだと「横浜」ですね。

横浜には今、球界ナンバーワンと言ってもいい、サードの「宮﨑敏郎選手」がいます。

なので、村田選手を獲得しても出場機会はあまり無いかもしれませんが、レギュラーではなく、「サブ」、もしくは「代打の切り札」としては十分に戦力として計算出来たでしょう。

しかし全く横浜側が、獲得の意思を見せなかったということは、やはり村田選手と横浜の関係は、「あまり良くなかった」のでしょう。

ちなみに村田選手の「通算成績」がこちら。
  • 通算試合数:1953
  • 通算打率:.269
  • 通算本塁打:360
  • 通算打点:1123
  • 通算安打数:1865
2007、2008年には、2年連続で「ホームラン王」。

ベストナインに「4回(2008,2012,2013,2016)」、ゴールデンクラブ賞は「3回(2013,2014,2016)」。

間違いなく、球史に名を残した「名三塁手」の一人です。

そう考えると、やっぱりこの幕引きは寂しいものがありますね。

という訳で今回は「村田修一は素行や性格が横浜時代に悪くて移籍先が無く引退で成績は?」について見てきました。

最後までご覧になって下さって、どうもありがとうございます!

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