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アレサ・フランクリン引用:https://www.instagram.com

アメリカ音楽界の「レジェンド」である黒人女性歌手、「アレサ・フランクリンさん(76歳)」が、ミシガン州デトロイトにある自宅で亡くなりました。

アレサさんは、「膵臓がん」を患い、闘病生活を送っていたということ。

「ソウルの女王」と呼ばれ、アメリカだけではなく、世界中の歌手に大きな影響を与えてきたアレサさん。

私生活の方でも、かなり「激動の人生」を過ごしていたようです。

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アレサ・フランクリンの子供は息子が4人で父親も4人?

アメリカの音楽界で最高の栄誉と言われる「グラミー賞」を何度も受賞。

2008年には、アメリカの音楽雑誌「ローリングストーン」が選んだ、「歴史上最も偉大な100人のシンガー」で「1位」に選ばれています。

アレサさんは、1942年3月25日に、アメリカ・テネシー州の「メンフィス」で生まれ、幼少期から、「父親」が牧師を務める教会で、「ゴスペル」を歌っていました。

そして「1961年」に「歌手デビュー」を飾ると、その圧倒的な歌唱力で、一躍「ソウルの女王」としての地位を確立させています。

また、その「私生活」もかなり「波乱」に満ちていました。

最初の「出産(長男)」をした時、なんとアレサさんは、まだ「12歳」。

更にその2年後。

アレサさんは、「14歳」の時に「別の男性」との間に出来た「第2子(次男)」を出産しています。

その後、「シングルマザー」として2人子供を育てていたアレサさんですが、1960年代に生活拠点を「ニューヨーク」に移すと、自分の「祖母」に子供たちを預けています。

生涯で結婚は「2回」。

子供は、「全て別の男性」との間に出来た「4人」の「息子」がいます。

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アレサ・フランクリンの夫や父親と結婚歴は?

小さい頃から、「父親」の教会で「ゴスペル」を歌っていたアレサさん。

その「父親」の名前は「レヴァント・C・L・フランクリンさん」と言い、「説教者」として有名な教会の牧師さんでした。

母親の「バーバラ・シガーズ・フランクリンさん」は、優れた「ゴスペルシンガー」。

しかし両親は、アレサさんがまだ幼かった頃から「別居」。

アレサさんは「父親」の元で育てられています。

レヴァントさんは、初めて「レコード」に録音された説教者で、「100万ドルの声」と言われるほどの「人気」と「尊敬」を集めていていました。

彼の教会には、「B・Bキングさん」など、数々の「有名スターたち」も訪れていたそうです。

そんな、レヴァントさんが亡くなった時の「葬儀」の際には、あの「ジェシー・ジャクソンさん」も参列。

こんなメッセージを残しています。

「彼はメッセージに優れた詩や驚愕の比喩を注ぎ入れただけでなく、重要な社会的意味も告げた。神の子として、われわれは他のどの人間より上でも下でもない、平等に愛されているのだと。“声高に叫べ、われは黒いわれは誇り高い”のメッセージをジェイムズ・ブラウンの遥か前に説いた。キング牧師と共に、公民権運動のはるか先にいて、己を強く主張する知識人であり、40年代と50年代に南部を出て、北部の産業都市に仕事を求めた数百万もの移住者にとっての、力と希望の灯火だった」

引用:アレサ・フランクリン/リスペクト

アレサさんは、父親の教会に集まる「数多くの有名シンガーたち」の「歌声」を、幼少期から身近に聴いていました。

これが、アレサさんと音楽との「出会い」になったのですね。

時代的に、まだ「人種差別」が激しい頃でしたが、アレサさんら「兄弟姉妹」たちは、全員が「大学への進学」を当たり前のことと捉えるほど、とても「裕福」で、「先進的」な考えを持っていたようです。

また、父親の「レヴァントさん」の持つ「カリスマ性」に惹かれ集まった多くの信者たちからは、「特別な扱い」をされ、子供の頃のアレサさんは、「お姫様」のような扱いを受けていたということ。

その一方で、10代にして「2人」の「子供」を「出産」していたアレサさん。

父親のレヴァントさんも、「10代の女性」を身ごもらせていたことがあったことから、アレサさんの子供は、「実は父親との間に出来た子なんじゃ?」という「噂」も出回っていたようです。

最後に、アレサさんの「結婚歴」について。

アレサさんの「最初」の結婚の相手ですが、自身のマネージャーも務めていた「デッド・ホワイトさん」という方。

しかし、デッドさんは、アレサさんに対して、「暴力」を振るうこともあったようで、結局、1969年に「離婚」。

次に、俳優の「グリン・ターマン」さんと「再婚」を果たしますが、こちらも「約6年」の結婚生活の末、1984年に「離婚」。

アレサさんの「結婚歴」は、生涯でこの「2回」になりますが、2012年、69歳の時には、「ウィリアム・ウィルカーソンさん」という方と、突然「婚約」を発表しています。

アレサさんと、ウィリアムさんは、長い間「友人関係」にあったそうです。

しかし、この婚約はすぐに「白紙」に。

アレサさんは、「ウィル(ウィリアムさん)と私はことを急ぎすぎました。十分に考えていないことが、まだたくさんありました。」というコメントを発表。

それから、アレサさんが「3度目」の結婚をしたという報告はないので、結局、ウィリアムさんとの婚約は「破棄」されてしまったようですね。

アレサさんが亡くなった時。

一体、誰が一番近くにいたのでしょうか?

という訳で今回は「アレサ・フランクリンの子供は息子が4人!夫や父親と結婚歴は?」について見てきました。

アレサ・フランクリンさんのご冥福をお祈りします。

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