引用:http://www.fukuishimbun.co.jp
「世界の平和」の為に尽力したアナンさん。
国連の「事務総長」を、1997年から「2期10年」に渡り務めています。
そして、2001年には「ノーベル平和賞」を受賞。
2003年には、アメリカが主導した「イラク戦争」は「国連憲章違反」だとして「反対」する姿勢を貫いていました。
その他にも、国連の枠組みの中で、数々の「多国間外交」の成果を残し、また「安保理改革」では日本の「常任理事国入り」を支持。
国連事務総長退任後も「シリア内戦」の調停に当たるなど、常に「国際平和」のための活動を行っていました。
アナン元国連事務総長の国籍や出身は?
今月18日「スイス」の病院で「家族」に看取られながら「最期」を迎えたアナンさん。「国連=アナンさん」
そんなイメージがあります。
「アントニオ・グテーレス現国際連合事務総長」もコメントを発表しています。
「アナン氏は善に向けて導く力だった。死去を知り、深く悲しんでいる(中略)困難な時でも国連憲章の精神を実現しようとし続けた。彼のレガシー(遺産)は我々の模範となるだろう。」
アナンさんは、1938年4月8日に、イギリス領ゴールド・コーストの「クマシ」で「双子」として生まれています。
クマシは「ガーナ」にある都市で、首都である「アクラ」に次ぐ大都市、アシャンティ州の州都。
アナンさんの出身国は「ガーナ」つまり国籍も「ガーナ」ということになりますね。
「クマシ」について、もう少し詳しく見ていきます。
元々この地方を「17世紀~19世紀」にかけて支配していた「アシャンティ王国」の古都でもあるクマシ。
ガーナの中の「熱帯雨林地方」に位置。
多彩で数多くの美しい植物が生息していることから「庭園都市」とも呼ばれています。
クマシには、ガーナ第2の空港「クマシ空港」もあり、首都のアクラ、ガーナ西部にある港湾都市の「タコラディ」とを結ぶ「鉄道」も走っています。
また、ガーナと言えば「カカオ」ですが、そのカカオ生産の中心地に位置するため「カカオの集散地」にもなっていたり、周辺には「金鉱」も。
工業の面でも、金属加工、製材、家具製造などの工場が多く建っていて、まさに「ガーナ経済を支えている都市」のようですね。
アナンさんの出身国である、ガーナの現大統領「アクフォアド大統領」も声明を出しています。
「サハラ砂漠以南のアフリカ出身で初めて国連事務総長に就任し、世界的な舞台での行動と振る舞いによってわが国に多大な名声をもたらした。」
この様に述べ、ガーナでは20日から1週間を「服喪期間」とし、半旗を掲げることも発表。
現在も世界中で様々な争いが起こっている中、これから改めて「アナンさんの生前の功績」が見直されることになりそうですね。
アナン元国連事務総長の経歴と嫁や子供と家族構成は?
「アナン元国連事務総長の家族構成は?」
「双子」としてこの世に生を受けたアナンさん。ガーナでは「双子」はとても大切にされるそうです。
アナンさんの双子の「姉」である「コフィ・エファさん」は、1991年に亡くなっています。
エファさんとアナンさんに共通するミドルネームは「アッタ」。
この「アッタ」とは、ファンテ語、およびアカン語で「双子」を意味する言葉。
またアナンさんの祖父、叔父は「部族の長」で、ガーナという国の中で「エリートの一員」という家系でした。
「アナン元国連事務総長の経歴は?」
アナンさんは、1958年「クワメ・エンクルマ科学技術大学」で「経済学」を専攻し、同大学を卒業後に「渡米」。1961年には、アメリカのミネソタ州セントポールにある「マカレスター大学」へと進み「経済学部」を卒業。
その後、1962年まで「国際・開発研究大学院」へ留学し、ここでも「経済学」を専攻しています。
更に1971年~1972年「マサチューセッツ工科大学スローンスクール」にて「MBA」、「科学修士(M.S)」を取得。
その一方で、1962年には「世界保健機関」の行政・予算担当官として「国際連合」にも入っています。
国連では、「国連アフリカ経済委員会」、イスマイリアの「国際緊急軍(UNEF)」、国連難民高等弁務官事務所、通称「UNHCR」で勤務した後、一旦ガーナに帰国。
1974年からの3年間「ガーナ観光振興会社常務取締役」を務めています。
1980年には「UNHCR」の「人事部長」となると、1984年には国連本部の「財務部予算部長」、1987年「人事管理担当事務次長補兼国連システム安全保障調整官」、1990年「財務官兼計画立案・予算・財政担当事務次長補」を歴任。
そしてこの年(1990年)に起こったイラクの「クウェート侵攻」を受け、国連の事務総長から「900人」を超える国連職員の帰還、イラクで人質になった「西側諸国」の人たちの「釈放」を促すという「特別任務」を任されます。
その後「人道援助物資購入の」ため、原油の販売に関し、イラク側との交渉に当たるなど、初となる「国連代表団」の指揮を取っています。
1992年には「PKO担当国連事務次長補」から、1993年~1996年「PKO担当国連事務次長」へ。
1995年11月~1996年3月にかけては「旧ユーゴスラビア担当国連事務総長特別代表」となり、ボスニア・ヘルツェゴビナにおける「国際連合保護軍(UNPROFOR)」から「北大西洋条約機構(NATO)」主導の「和平履行部隊(IFOR)」への「部隊引き継ぎ」を監督。
そして1997年1月1日に「国連事務総長」に就任。
「国連の職員」から選ばれた、最初の「事務総長」ということになりました。
2006年12月に国連事務総長を「引退」。
その際のスピーチでは、近年、国連を無視するアメリカの「覇権主義的行動」を批判。
アメリカが国連を重視した「多国間主義」に回帰することを望んでいるという言葉を残しています。
「アナン元国連事務総長の嫁や子供は?」
アナンさんの妻は、スウェーデン出身の弁護士の方で「ナーネさん」。ちなみにこの結婚はアナンさんにとっては「2度目の結婚」だったそうです。
ナーネさんは、第二次世界大戦の時にユダヤ人を救った「ラウル・ワレンバーグ氏」の「大姪」にあたるということ。
最後にアナンさんの「子供」についてです。
アナンさんには、ナーネさんとの間に出来た子供が「3人」います。(元妻との間にも2人の子供がいると言われていますが、その情報に関しては見つけることが出来ませんでした。)
また、アナンさんは、イラクでの「石油食料交換プログラム」に関する「640億ドル」にも及ぶ、国連の大規模な「不正疑惑」によって「政治生命の危機」に立たされたことがあります。
この事に関し、アナンさんの長男である「コジョ・アナンさん」が、人道援助に関わった「スイス企業」から、退社後も「不透明な給与」を受けていたことが発覚したことがありました。
という訳で今回は「アナン元国連事務総長の国籍や出身は?経歴と嫁や子供と家族構成は?」について見てきました。
最後になりましたが、アナンさんのご冥福をお祈りいたします。