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KID引用:https://www.instagram.com

「総合格闘家」として活躍し、日本に「格闘技ブーム」を巻き起こした立役者の1人である「山本KID徳郁さん」が、今月の「15日」に「41歳」の若さで亡くなりました。

先月の「26日」に公表した「がん」の闘病中だったKIDさん。

最期は、療養中だった「グアム」の病院で「家族」に看取られながら息を引き取ったそうです。

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山本KID徳郁の本名が岡部の理由は何故?

今回の「訃報」を知って、色々な報道を見ました。

そこで1つ気になったのが、KIDさんの本名が「岡部(旧姓山本)徳郁」となっていたこと。

「これは一体何故なんだろう?」と思い調べていくと、KIDさんは、母親(故・山本憲子さん)の「旧姓」を継いだそうです。

というのも、KIDさんの母親は「一人娘」で「山本家」に嫁いでいます。

そのため、そのままだと「旧姓」の「岡部」を継ぐ人が居なくなり、ここで途切れてしまうことになるため、KIDさんが「岡部姓」を名乗ることにしたんだとか。

非常に「家族を大事」にする「KIDさんらしいエピソード」ですね!

ちなみに、KIDさんの「母親」である「典子さん」は、KIDさんが、まだ大学生だった頃に亡くなっています。

KIDさんの家族と言えば、父親は「ミュンヘンオリンピック」に出場した「レスリング選手」の「山本郁栄さん」。

そして、姉の「山本美憂さん」と妹の「山本聖子さん」も、女子レスリングで「世界女王」に輝いた「レスリング一家」の「長男」。

姉、妹と共に、幼い頃から「レスリング」の「英才教育」を受けてきました。

この頃の、KIDさんらに共通していた思いは「父親が果たせなかった夢を叶えたい」というもの。

ズバリ「オリンピックでのメダル獲得」でした。

郁栄さんも、長女の美憂さんが「世界選手権」で「初出場初優勝」を果たしても「やっぱり、オリンピックのメダルだよ」と語るなど「オリンピックへの拘り」を隠そうとはせず、その思いを全て「子供たち」にぶつけていました。

美憂さんと聖子さん姉妹は、日本女子レスリング界で「無敵の強さ」を誇り「世界選手権」では、姉妹で「合計7回」の「優勝」を果たしています。

それでも「オリンピックのメダルには届きませんでした」。

その理由として「女子レスリング」が、オリンピックの「正式種目」として採用されたのが、2004年の「アテネオリンピック」からだったことが上げられます。

美憂さん、聖子さん共に、レスリング選手として「全盛期」の頃には、オリンピックには「女子レスリング」自体が無かったんですね。

これは本当に「不運」。

2人共「アテネオリンピック」を目指しましたが、美憂さんは「48kg級」の代表に落選、そして聖子さんは、あの猿人類最強女子と呼ばれた「吉田沙保里さん」に敗れ「55kg級」の代表切符を掴めませんでした。

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山本KID徳郁は家族の為にレスリングを?

「幼少期」から、厳しい練習に耐え、日本女子レスリング界で「圧倒的な強さ」を見せていた、美憂さんと聖子さんですが、その最も力がある時に「オリンピック」を迎えることは出来ませんでした。

父の郁栄さんは、女子レスリングが「正式種目」になるまで待ちきれないとして、姉妹を「柔道」に「転向させる」とまで言ったことがあります。

まさに「山本家の悲願だったオリンピック」。

時代が、ほんの「10年くらい」ズレていたら、間違いなく、美憂さん、聖子さんは、オリンピックで「メダル」を獲得していたでしょうね。

そんな「父・姉・妹」の無念を、一番近くで見ていたのが「KIDさん」だったのでしょう。

KIDさん自身も、高校生の時には、アメリカに「レスリング留学」をし、進学した「山梨学院大学」では、レスリングの「学生王者」になるなど「オリンピック出場」の「目前」まで来ていました。

しかしKIDさんは、2000年の「シドニーオリンピック出場」を逃すと、その後に「プロ」に転向。

レスリングの世界からは、一旦、距離を起きます。

そして「プロ格闘家」として「名実」共に「成功」を収めたKIDさんですが、その胸の中には、常に「父親の夢」そして「家族の悲願」である「オリンピック」の存在がありました。

KIDさんは、プロとしての立場もかなぐり捨て、レスリング界に復帰し「北京オリンピック」を目指すことに。

残念ながら、北京オリンピック出場の夢は叶わず、しかも、KIDさんは、代表選考会となる大会で「右肘を脱臼」するという「怪我」を負います。

後々になって、この時の「怪我」が、プロ格闘家としてのKIDさんも「苦しめること」になってしまいました。

それでもきっと「家族の思いを背負って」オリンピックにチャレンジしたことを、KIDさんは、後悔していないでしょう。

KIDさんは常々、自身に付けられた「神の子」という名前の意味を問われると「俺にとって、親父は神」と、郁栄さんに対する「尊敬と感謝の念」を込めて語っていました。

KIDさんの「格闘家人生」は、まさしく「固い絆」で結ばれた「山本一家の戦い」だったような気がします。

という訳で今回は「山本KID徳郁の本名が岡部の理由は何故?母親や家族の為だった?」について見てきました。

最後になりましたが「山本KID徳郁さんのご冥福をお祈り致します」。

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