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片山引用:https://headlines.yahoo.co.jp

先の「自民党総裁選挙」で「石破茂さん」を破った「内閣総理大臣」の「安倍晋三さん」が、自民党の役員人事と「内閣改造」新たに行います。

今回の「目玉人事」となりそうなのが「片山さつき参議院議員」の内閣への入閣。

既に「内定」しているという報道もありました。

片山さんと言えば、元夫は、あの「前東京都知事」の「舛添要一さん」。

そんな片山さんの「現在の旦那さん」は、どんな人なのでしょうか?

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片山さつきの夫は片山龍太郎?

「片山さつきとは?」


片山さつきさんは「1959年5月9日」に「埼玉県のさいたま市」に生まれています。

現在の年齢は「59歳」。

失礼ながら、もう少し「ご年配な方」のイメージがありました^^;

学歴を見ていくと「浦和市立高砂小学校」から「東京教育大学附属中学校・高等学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)」を経て「東京大学法学部」へ進んでいます。

やはり、見事な「学歴」です。

片山さつきさんは、幼い頃から「神童」と呼ばれていたそうです。

「神童」って、本当に呼ばれる人がいるなんて^^;

小学生時代には「高砂小学校」開校以来の「天才少女」が現れたとも言われ「高校生」の時には、常に成績は「TOP」。

「代々木ゼミナール」で行われた「全国模試」でも「1位」を「4回」も取ったことがあるんだとか!

本当に頭が良かったんですね。

東大を卒業後は「大蔵省」へ入省「主税局」に配属されています。

肩書を見てみると「政治家」の他に「実業家」や「行政書士」といった顔も持っているようです。

旧姓は「朝長(ともなが)さん」。

政治家に転身したのは「2005年9月」のこと。

「第44回衆議院議員総選挙」で「自由民主党の公認候補」として「静岡7区」から出馬し「初当選」を果たしています。

この時の総選挙は、いわゆる「郵政民営化選挙」と呼ばれていましたね。

「片山さつきの夫は片山龍太郎?」

片山さつきさんの「私生活」の部分で「夫」について調べていくと、まずは「舛添要一さん」の顔が浮かんできます。

2人は、まだ片山さつきさんが「大蔵省」で働いていた「1986年」に政治家の「近藤鉄雄さん」の紹介で「お見合い」をしています。

当時、舛添要一さんは「東京大学の助教授」という肩書でした。

そのまま「お見合い結婚」をした2人ですが「1989年」には「離婚」。

翌年の「1990年」に、片山さつきさんは、現在の夫である「片山龍太郎さん」と「再婚」。

離婚した次の年に再婚って…驚きです。

普通は「もう当分結婚はいいや」とか思いそうなもんですけどね^^;

この「片山龍太郎さん」ですが、あの「マルマン(現:マジェスティ ゴルフ)の「創業者の息子」。

かなりの御曹司との「再婚」に「成功」したことになります。

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片山龍太郎はマルマン創業者の息子で会社を潰した過去?

片山さつきさんの「再婚相手」である「片山龍太郎さん」。

「マルマン創業者」の「ご子息」ということで、ま、「おぼっちゃまくん」だったのか^^;

しかし、この片山龍太郎さんについて調べていくと、過去に「会社を潰してしまった」ことがあるという情報も。

どういう事か、早速見ていきましょう!

以前ある「TV番組」の中で、こんな出来事がありました。

それは「千原兄弟」の「千原せいじさん」が、片山さつきさんに対して「片山さつきさんの夫も会社を潰している」と発言。

さすが「人の心に土足で駆け上がっていくこと」には定評のあるせいじさん…。

この発言を受け、片山さつきさんは「夫の会社を潰してやると脅迫された」と、間違った解釈をしてしまったそうで、当時「話題」になったと言います。

せいじさんの発言の真相について調べていくと、実際に、片山龍太郎さんは「マルマンの取締役社長」を務めていたものの、同社を潰してしまった経験がありました。

当時、ネット上に帝国データバンクの当該情報も出回っていたようです。

@yunishio 帝国データバンクにありますね tdb.co.jp/report/tosan/s… (2)時計・喫煙具販売の(株)不忍商事(旧商号=(株)マルマン)(負債170億円、東京都)(以下略)

— musasabiさん (@zinc_shiro) 5月 28, 2012

引用元:Twitter

(2)時計・喫煙具販売の(株)不忍商事(旧商号=(株)マルマン)(負債170億円、東京都)は、喫煙具部門、ゴルフ部門、時計部門、家電部門、健康食品部門、宝飾品部門と事業を多角化していたが、積極的な営業策が裏目となり、ゴルフクラブなどの不良在庫を抱えたことなどから経営難が表面化、事業撤退などによる再建を進めていたなか、新設会社に事業を移管し、旧会社については商号を(株)マルマンから(株)不忍商事へ変更したのち、特別清算による処理となった

片山龍太郎さんの「経歴」を調べてみると「1994年7月」に「マルマン取締役社長就任」とあり、その後「大規模な経営改革」を行い、会社の「営業・経常黒字化」に成功。

同社を立て直した後に「上場」となっていて、会社を潰したどころか「再建」を果たしたことになっています。

しかし、実際には、片山龍太郎さんが「取締役社長」に就任した後、会社名を「不忍商事」に変更し「2001年5月」に「特別清算(倒産)」。

この時の「負債額」は「170億円」で、倒産と同時に「マルマンコーポレーション」という名前で「新しい会社」を作り(休眠会社の再利用)、その新会社の役員に「片山龍太郎さん」は就任していました。

つまり「再建」とは言っても、実際には「債務」を「前の会社」に背負わせ「債権者(銀行)」に押し付けただけ。

要は「踏み倒し」だったんですね。

この事を、せいじさんは「ツッコんだ」んでしょう。

結局、同会社は2001年には「倒産」をしていますので、本当の意味での「再建」は叶わなかったようです。

2-2-92 松飛台工業(株)(旧商号=マルマンゴルフ(株))(ゴルフクラブ製造販売、ゴルフ用品販売。資本金3億1200万円、東京都台東区池之端1-4-21、代表清算人片山龍太郎)【帝国データバンク2002/02/14】【東京商工リサーチ 2002/02/14】
1971年(昭和46年)6月、マルマンゴルフ(株)の商号で設立。「2-2-57 (株)不忍商事〔旧商号:(株)マルマン〕」の傍系会社
2001年(平成13年)5月、商号を松飛台工業(株)に変更し、営業権を受け皿会社(マルマンゴルフ(株)(東京都台東区))に譲渡
2001年(平成13年)12月19日開催の株主総会で解散を決議
2002年(平成14年)1月30日、東京地裁から特別清算開始決定。負債は約330億円

引用元:http://www1.odn.ne.jp/

こちらが、マルマンと関連会社「マルマンゴルフ」の「倒産の経緯」のまとめです。

マルマンゴルフの「負債額」は、なんと「330億円」にまで上っています。

現在も「実業家」として活躍している片山龍太郎さんですが、その「過去」には、こんな事があったんですね。

という訳で今回は「片山さつきの夫の職業は?マルマン創業者の息子で会社を潰した過去?」について見てきました。

最後までご覧になって下さって、どうもありがとうございます!

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