大相撲の元横綱「輪島大士さん」が、亡くなっていたことが分かりました。
「70歳」でした。
輪島さんは、現役時代のライバルだった「北の湖さん」が「急逝」した2015年には、自身も「咽頭がん」の手術を受けたあとで「発声」が出来ない状態だったため「文書」でコメントを発表。
その後も「闘病生活」を送っていた輪島さんですが、遂に「帰らぬ人」となってしまいました。
現役を「引退後」は、数多くの「バラエティ番組」にも出演していた輪島さん。
ちょっと頬を赤くして「柔らかい笑顔」を浮かべていた姿が、とても印象的でした。
輪島大士は若い頃に嫁と離婚で現在は子供は何人?
大相撲の「第54代横綱」の輪島さん。「1948年1月11日」に「石川県七尾市」で生まれた輪島さんは、日大時代に「2年連続」で「学生横綱」になり、その後「角界入り」。
初土俵を「1970年」に踏むと、その僅か「3年後」の「1973年」の「名古屋場所」で「横綱」に昇進しています。
現役時代の輪島さんと言えば、宿命のライバルである、元横綱「北の湖さん」の存在が浮かんできます。
2人で「輪湖時代」を築き、相撲界を引っ張っていましたね。
1981年に現役を引退すると「金銭問題」などから、相撲協会を追われた輪島さん。
その後は「全日本プロレス」に入門したり、学生援護会の「アメリカンフットボール部」の「総監督」に就任したりと、相撲界とは「全く違う世界」で活躍していました。
そんな輪島さんの「私生活」についてですが、結婚は「2度」経験しているようです。
輪島さんの「最初」の「結婚相手」は、自身の師匠であった「大ノ海さん」の「長女」。
この方「輪島五月(旧姓は中島)」という名義で「本」も出版されています。
しかし、輪島さんの最初の妻は「1982年4月」に、自分で自分の命を絶とうとしたことがあり、結局、輪島さんとは、その後に「離婚」。
1982年と言えば、輪島さんが「現役を引退した直後」のことです。
輪島さんの「2度目」の「結婚」についてですが、これは、輪島さんが「タレント」として活躍していた頃「準レギュラー」として出演していた「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」の中で企画された「お見合い企画」が、キッカケとなっています。
この番組内で設定された「お見合い」で出会った「一般の女性」と、輪島さんは「再婚」し、輪島さんが「51歳」の時に「子供(男の子)
」も生まれています。
輪島さんの子供は、この時の「1人」だけになるようですね。
輪島大士の息子で大地は甲子園に出場?
輪島さんの「一人息子」に関してですが、名前は「大地さん」。中学校までは「東京」で生活していましたが、高校は「甲子園」を目指すために、親元を離れ、奈良県の「天理高校」に進んでいます。
大地さんは、父親譲りの恵まれた体格で、身長は「188cm」体重は「87kg」と、まさにプロ顔負け。
輪島さんと言えば、現役時代は「黄金の左」とも呼ばれていましたが、息子の大地さんは「右投げ」だそうです。
そして、大地さんは、2017年の「夏の甲子園大会」に「奈良県代表」として出場しています。
この時の背番号は「11」。
いわゆる「控え投手」という立場でした。
大地さんが、甲子園のマウンドを踏んだのは「準々決勝」の「明豊高校戦」。
大量リードして迎えた「9回」に出番が回ってきましたが、大地さんは、ワンナウトも取れず、打者「4人」に対し「16球」を投げ、ヒットを「3本」に、四死球も「1つ」与え「4失点」を喫し「ノックアウト」されています。
結果的に、天理高校は「勝利」を収めましたが、大地さんにとっては「ホロ苦い」甲子園での登板となってしまったようですね。
そんな大地さんの「現在」についてですが、天理高校を卒業後は、海外へ留学し「プログラミング」や「アプリ開発」の勉強をしているという噂も出ています。
野球に関しては「高校まで」と決めていたのかもしれませんね。
という訳で今回は「輪島大士の息子が甲子園?子供の人数や再婚相手と若い頃に嫁と離婚?」について見てきました。
最後になりましたが、輪島大士さんのご冥福を心よりお祈り致します。