夜の銀座の街を歩くと、良く目にする「丸源ビル」。
◯の中に「源」という漢字が一文字入っている、アレです。
そして「MARUGEN」の下の方には「数字」も記されていて、嫌でも記憶に残る「丸源ビル」。
「東京の一等地」に巨大なビルを何件も構えているのですから、その所有者は、とんでもない「大富豪」であることは、簡単に想像がつきますね。
そんな「丸源ビル」の所有者が「巨額の法人税(約10億円越)」を「脱税」したとする事件の「公判」が行われ、貸しビル業「丸源グループ」の会社社長「川本源司郎被告」に「懲役4年・罰金2億4,000万円」の判決が言い渡されました。
これにより、現在「86歳」と高齢になる川本被告に「実刑」が下されることになります。
川本源司郎に子供や嫁がいない理由は?
一貫して「無実」を主張し、初公判が行われた「2013年6月」以降、弁護団を何回も替えるなど「徹底抗戦」してきた川本被告に、遂に「実刑」が下されました。現在の「年齢(86歳)」のことなどを考えると、川本被告は、絶対に実刑だけは、避けたかったのでしょうね。
「不動産王」として活躍し、輝かしい人生を歩いてきた、川本被告。
一体、どんな人物で、どの様な生き様だったのか、非常に興味が湧きました。
そこで、川本被告の「私生活」の部分について調べていきます。
1932年に「福岡県小倉市」で生まれた川本被告。
現在の「北九州市」になります。
実家は「呉服屋さん」の「丸源」。
地元の小倉にある私立「常磐高等学校」を卒業後「慶應義塾大学」へと進学しますが、同大学を「中退」。
その後「家業」を継いでいます。
家業を継いだ川本被告は、その「儲け」のほとんどを「不動産」に投資。
時代は「高度経済成長期」で、不動産の価格は高騰し「莫大な利益」を上げることに成功します。
「呉服屋」は廃業し「貸しビル業」に専念した川本被告。
1960年には「飲食ビル」の「賃貸業」にも進出し「家具付きに飲食店」を貸し出すという手法が大当たり。
事業を更に軌道に乗せていきました。
最初は、福岡の中洲などで成功を収め、1972年には東京へ。
その「2年後」の1974年には、銀座の目抜き通りに「10階建て」のビルを建てています。
この当時は、銀座に飲食ビルって、あんまり無かったそうです。
今の銀座を見ていると、不思議な感じがします。
1980年には、銀座に「8棟」ものビルを所有。
また、バブル期には、銀座だけではなく「赤坂」「六本木」といった、東京の繁華街を中心にビルを建てまくり、この頃の総資産は「約1,000億円」にも上ったと言われています。
「バブル」といえば、その後の「バブル崩壊」によって「悲惨」な道を歩くことになる経営者もたくさんいました。
しかし、川本被告は、徹底した「現金主義者」で、クレジットカードすら持たず「無借金」での経営を貫いたため、この危機を、ほぼ「無傷」で乗り切ったそうです。
「バブル期」で、周りが狂ったように不動産投資を行っていた時にも、川本被告は冷静に、銀行は信用せず「自分の目で物件を選んでいた」と言います。
そんな川本被告ですが、プライベートでは、これまでに「結婚歴はなく」、「子供もいません」。
更には、自身の後継者も育ててきませんでした。
常々「自分が亡くなったら、資産は国に持っていかれて、丸源は終わり、それで良い」と語っていた川本被告。
豪快というか、なんというか。
これだけの「資産家」で「ビジネスの才能もある」となれば、女性にモテないはずもなく、川本被告の周りにはいつも「美しい女性たち」がいたと言います。
それでも、これまでに「結婚」には至らなかった理由は「基本的に人を信用しない」という、川本被告の性格による所が大きいようです。
また「子供」についても、自分に子供が出来たとして、その子に「変なことをされても困る」という考えがありました。
「この商売をするのは、俺一人でいい」という「信念」があった川本被告。
きっと「自分の商売の邪魔は、誰にもされたくなかった」のでしょう。
若くて、美しい女性を「妻」にしたり、自分の周りを「太鼓持ち」のような人で固める、そういった事には、全く興味が無かったのですね。
ある意味、潔い生き方だなと思いました。
川本源司郎の自宅と丸源ビルの今後はどうなる?
「結婚歴」もなく「跡取り」もいない川本被告。そんな川本被告、今から「40年以上前」には、東京都渋谷区内にある「超高級住宅地」に、自宅となる「大豪邸」を建てています。
敷地面積「約400平米」で「床面積500平米」、地下1階~地上3階建ての「鉄骨大邸宅」で、「約5億6,000万円」で購入したそうです。
この「大豪邸」の近所には、なんと「安倍晋三首相」の「自宅」もあるんだとか^^;
しかし、川本被告は、この自宅では、ほとんど生活を送っていなくて、いつも「都内の高級ホテル」に住んでいました。
なんて、もったいない…。
「巨額脱税」の罪で起訴され「実刑判決」を受けた川本被告。
では、跡取りのいない「丸源ビルの今後」はどうなっていくのでしょうか?
丸源のビルといえば、やはり「銀座」の街が思い浮かびますが、実は、数年前から、テナントを無理やり追い出すなどといった「トラブル」が続出し「廃墟」となったビルが目立つようになっているということ。
また、2016年には「北九州市」にある川本被告の所有するビルの「防火設備」に不備があり、改善命令にも従わなかったとして、福岡県警察に「消防法違反容疑」で、法人の「丸源」が「書類送検」されるという事件も起こりました。
後継者を作らず、かねてより「自分一代でビル経営は終わり」というポリシーを見せてきた川本被告。
これらを考えると、今の川本被告の情熱は「貸しビル業」にではなく、自分の「裁判」に一番向けられていたのでしょうね。
ということで今回は「川本源司郎に子供や嫁がいない理由や自宅と丸源ビルの今後はどうなる?」について見てきました。
最後までご覧になって下さって、どうもありがとうございます!