覆面レスラーとして、アメリカ、そして日本で大活躍した「ザ・デストロイヤーさん」が、2019年3月7日(日本時間8日)、アメリカのニューヨーク州北部にある「自宅」で亡くなりました。
デストロイヤーは、自宅のベットの上で「家族に見守られながら」息を引き取ったということ。
力道山さんや、ジャイアント馬場さんらと、日本の「プロレスブーム」を牽引。
必殺技の「足4の字固め」と共に、デストロイヤーのトレードマークとなっていたのが「覆面マスク」ですね。
そこで今回は「88歳」で、この世を去ったデストロイヤーが、プロレスラーとして「なぜ覆面マスクを被っていたのか?」また、その「覆面マスクの下の素顔」についてを調べていきたいと思います!
【画像】デストロイヤーの素顔はどんな顔?
デストロイヤーの素顔 pic.twitter.com/sHixDOscWD
— デミアン (@boku_demian) March 8, 2019
こちらが「覆面レスラー・ザ・デストロイヤー」の「素顔」。
若い頃の顔は、かなり「爽やかな男前」ですね!
パット見、プロレスラーというよりは「政治家」の様な「インテリジェンス」な印象を受けました。
それもそのはずで、デストロイヤーは、アメリカの名門「シラキュース大学大学院」で「教育学」の「博士課程」を修了していたんです。
デストロイヤーは、大学在学中から「レスリング」の世界でも活躍。
その後、1954年には「プロレスデビュー」を果たしています。
彼にとって「転機」が訪れたのが「1962年」のことでした。
後に、デストロイヤーの代名詞となる「白地」で「赤い縁取り」がされた「覆面マスク」を着用。
「覆面レスラー・ザ・デストロイヤー」の誕生です。
【デストロイヤー氏 親日家の顔】https://t.co/5krXNvaaFW
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) March 8, 2019
白い覆面と得意技の足4の字固めで昭和のプロレス人気を盛り上げたザ・デストロイヤーさんが死去。デストロイヤーさんは親日家として知られ、外国人叙勲者として旭日双光章を受章している。
デストロイヤーは、非常に「日本人の記憶」にも残っているプロレスラー。
そんな彼が、初めて日本にやって来たのは「1963年」のことでした。
当時を振り返ると「悪役」だった「外国人レスラー」。
プロレスブームが最高潮の頃、デストロイヤーと力道山が戦った一戦は、テレビ視聴率が驚異の「64%」を記録しています。
今では考えられない数字ですね。
それだけ、日本人の「娯楽の中心」にいたということでしょう。
デストロイヤーが覆面マスクを常にしていた理由は?
当初は「悪役の外国人レスラー」として、日本で活躍していたデストロイヤー。しかし、徐々にプロレスファンの心を掴み始めると、1973年には「ジャイアント馬場」が立ち上げた団体「全日本プロレス」に参戦します。
更に活躍の場は「バラエティの世界」にも。
デストロイヤーは、歌手の「和田アキ子さんら」が出演し、人気を博した「うわさのチャンネル!!」にレギュラー出演。
和田アキ子と、デストロイヤーの絡みは、当時、大きな話題を呼んだそうです。
とても悲しいわ。#デストロイヤー #和田アキ子 pic.twitter.com/R5O7PG0FQn
— danzaimon (@danzaimon) March 8, 2019
2人が並んでいる所をみると、和田アキ子が大きいのか、デストロイヤーがそんなに大柄ではないのか、どちらなんでしょうか…。
1993年に現役を「引退」したデストロイヤーは、アメリカに帰ると「体育教師」として働きながら、日米の「レスリング選手の育成」に尽力。
日本とアメリカの「スポーツ交流」にも貢献し、2017年には「外国人叙勲」で「旭日双光章」を受章しています。
元々は「第二次世界大戦」の事もあり、日本に対して、良い印象を持っていなかったというデストロイヤー。
それが、最初に来日した時「日本と恋に落ちた」と振り返るように。
ちなみに、アメリカの彼の「自宅」には、なんと「和室」も作られているそうです。
そんなデストロイヤーですが、常々「日本人の前ではマスクは外さない」と語っていました。
ファンの前だけではなく、報道陣を前にしても、決して「マスクを外さなかった」デストロイヤー。
他のプロレスラーの話によると、試合後に「シャワーを浴びる時」にしか、マスクは外さなかったそうです。
それ以外は「控室」でも、地方巡業などで、プロレスラー仲間と外出する時も「覆面姿」で過ごしていたということ。
デストロイヤーが、これほどまでに「覆面」を外さなかった理由、気になりますね。
その「秘密」について、力道山の「息子」である「百田光雄さん」が、この様に証言していました。
「素顔は、本当に普通のおじさんなんです。マスクをかぶっていないと、誰もデストロイヤーって分からないじゃないですか。外出する時もマスクをかぶっていたのは、常に自分がデストロイヤーであることをアピールするためということもあったと思います」(百田光雄談)
この話を聞いて、昔、志村けんさんが、テレビ局で、ノーメイクの時に子供から「バカ殿~」と声をかけられたけど一旦「無視」し、楽屋で「バカ殿のメイク」をしてから「その子供たちの前にやって来た」という話を思い出しました。
デストロイヤーは、日本人が、プロレスラーとしての自分に寄せている「イメージ」を、絶対に壊してはいけないと考え、常に「デストロイヤー」で存在し続けたのかもしれません。
更に、常に「覆面」を被っている事で、デストロイヤー側にも、こんな「利点」が。
そのエピソードがこちら!
「車」の運転時にも「マスク」を着用していたデストロイヤー。
「首都高速道路」の料金所を通過する時に、窓を開けて、料金所のおじさんに向かって「ハイ、デストロイヤーです。」と言うと、なんと、おじさんが、そのまま「「はい、どうぞ~」と、そのまま「素通り」させてくれることがあったそうです笑
また、地方へ「巡業」で回った時も、マスク姿で食事に出かけると、そこのお店の方が「生デストロイヤー」に感激し、「お代は結構です。」という流れになることも!
それだけ「日本人に愛された外国人レスラー」だったということですね。
という訳で今回は「【画像】デストロイヤーの素顔や覆面マスクを常にしていた理由は?」について見てきました。
最後になりましたが「ザ・デストロイヤーのご冥福を心よりお祈りします」。