2019年3月12日放送の、日本テレビ系「火曜サプライズ」に出演する「長嶋一茂さん」。
今、バラエティの世界で、見ない日はないというくらいに「大ブレイク」している長嶋一茂ですが、今夜の「火曜サプライズ」では「幼少期」を過ごした「地元」の「大田区田園調布」を練り歩くそうです。
その中で、2007年9月17日に「心不全」のため亡くなった「母親」である「長嶋亜希子さん」との「思い出」も語られるんだとか!
長嶋一茂の「両親」といえば、やはり「父親」で「ミスタープロ野球」と呼ばれている「長嶋茂雄さん」の顔が、まず浮かんできます。
「国民的ヒーロー」を夫に持ち、母としては、長男・長嶋一茂を含む「二男二女」を育て上げた「長嶋亜希子」とは、どんな「母親」だったのでしょうか?
更に、長嶋一茂が、そんな「母親・長嶋亜希子」のお墓を「ハワイに建てた理由について」も調べていきたいと思います!
長嶋一茂の母親の長嶋亜希子はどんな人?
「長嶋亜希子と長嶋茂雄の出会いは?」
「巨人は嫌いでも、長嶋茂雄を嫌いな人はいない」とも言われるほど、国民中から愛された長嶋茂雄。プロ野球のみならず、スポーツ界を代表する「スーパースター」です。
その長嶋茂雄を影で支えたのが、妻の「長嶋亜希子」でした。
長嶋亜希子(旧姓:西村)は、1943年1月5日に、東京都の渋谷区に誕生。(両親の本籍は鹿児島県)
出版社「東雲堂書店」を経営する祖父「西村辰五郎」、そして、こちらも出版社「内外出版社」の代表を務めていた父親の「西村光雄」の元、たくさんの書物に囲まれて「幼少期」を過ごしたそうです。
東京の名門「田園調布雙葉中学校」から、そのまま「田園調布雙葉高等学校」に進学しますが、高校在学中に「アメリカ」へ「留学」。
アメリカの高校に編入すると、その後「ミネソタ州」にある「聖テレサ大学」へと進み、卒業しています。
「英語」だけではなく「フランス語」や「スペイン語」も堪能だった長嶋亜希子は、その語学力を活かし、1964年の「東京オリンピック」で「コンパニオン」として活躍。
この頃「読売新聞社」が主催した「対談」で、後の夫となる「長嶋茂雄」と出会いました。
2人の「馴れ初め」ですが「ミスターの一目惚れ」だったそう。
程なくして「交際」をスタートさせた2人は、翌1965年1月26日には、渋谷区南平台にある「カトリック渋谷教会」で結婚式を挙げています。
「長嶋亜希子はどんな母親だった?」
長嶋茂雄は、自分の考える「理想の夫婦」のあり方として「男の職場に顔を出すな」というモットーを持っていました。その言葉通りに、長嶋亜希子は、ひたすら「長嶋家を影で支える黒子」の様な存在に徹します。
かつて、長嶋一茂が「父親・長嶋茂雄」について、この様に語っていた事がありました。
- 「プロ野球選手というのは、遠征などで日本各地を転々とするため、一年間で、ほとんど家に帰ってくる事がなかった。」
- 「家族が全員揃った、いわゆる家族団らんのような思い出は、ほとんど無い。」
- 「家族全員で旅行に出かけたことも無い。」
普通の「父親」として「子供たちと接した時間」というのは、あまり無かったのかもしれません。
そう考えると、家の中のことを取り仕切っていたのは、ほとんど「母親」である「長嶋亜希子」だったのでしょう。
そんな母親について、長嶋一茂が、以前、こんな「エピソード」を語っていたことがあります。
それは、長嶋一茂が、父親と同じ「立教大学」に進学して、野球部で活躍し「ドラフト候補生」として、プロ野球のドラフト会議を「3日後」に控えていた時のことでした。
母、長嶋亜希子は、息子に向かって「あなたは絶対やめなさい」と、プロ入りに「反対」。
当時、長嶋一茂は、母親の言葉の「真意」が、理解出来なかったようで「おふくろ、何言ってんのかな?」と、不思議な気持ちになったそうです。
しかし、ご存知の通り、長嶋一茂は、プロ野球の選手としては、成功を収める事は出来ませんでした。
長嶋一茂が、プロの世界で活躍出来なかったのは、単純に「才能」とかの問題だけではなく「スーパースター長嶋茂雄の息子」という「呪縛」からくるプレッシャーなど「精神的なもの」も、大きな要因になったと言われています。
きっと、幼い頃から息子を近くで見てきた長嶋亜希子は「この子は、精神的に、プロの世界でやっていけるタイプではない」と見抜いていたのでしょうね。
長嶋一茂が母親の長嶋亜希子のお墓をハワイに建てた理由は?
長嶋亜希子は、長嶋一茂夫妻らと食事に出かけていた「2007年9月17日」に、突然「体調不良」を訴えます。その後、病院に搬送され、夫である長嶋茂雄や、次女の「長島三奈」ら、家族も駆けつけましたが、翌9月18日の午前4時33分に「心不全」のため死去。
まだ「64歳」でした。
一般的に、女性の方が平均寿命が「長い」ですが、長嶋茂雄の「盟友」である「王貞治さん」も、同じく、妻を早くに亡くしています。
やはり「国民的ヒーローを支える妻」というのは、普通では想像がつかないくらい「神経」を使うのかもしれません。
そして、現在、長嶋亜希子が眠る「お墓」は「ハワイ」に建てられています。
これは意外です。
確かに、長嶋一茂は「大のハワイ通」。
仕事の時以外の時間は「ハワイで過ごしている」とも公言しています。
しかし「高齢」で、過去には「大病」も経験している長嶋茂雄の事も考えると、日本の「自宅の近く」にお墓を建てた方が、何かと便利な気がします。
そこで更に調べていくと、どうやら、長嶋茂雄と長嶋亜希子の「夫婦関係」は、長嶋亜希子が亡くなるかなり前から「破綻」していたそうです。
長年「別居生活」が続いていて「熟年離婚」の様な状態だったとも言われています。
それでも、正式に「離婚」という道を選ばなかったのは、やはり「スーパースター長嶋茂雄」というイメージを守りたかったからという気がします。
また、「外国人の友人が多く、英語で会話している時の方が楽しそうだった」という長嶋亜希子。
そう考えると、長嶋亜希子のお墓が「ハワイ」にあるのは、亡くなった後は「自由になりたい」と、思っていたからなのかもしれません。
そして、子供たちに、生前から「もし、自分が亡くなったら、ハワイで眠りたい」という様なお願いをしていたのではないでしょうか?
という訳で今回は「長嶋一茂の母親の長嶋亜希子はどんな人?ハワイに墓を建てた理由は?」について見てきました。
最後までご覧になってくださって、どうもありがとうございます!