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内田引用元:https://twitter.com

ロックンローラーの「内田裕也さん(79歳)」が、2019年3月17日、東京都内で亡くなりました。

昨年9月に「妻」である女優の「樹木希林さん」に先立たれた内田裕也。

その時の「憔悴しきった姿」が、まだ記憶に新しい所ですが、それから「約半年」が経過し、妻の後を追うように、この世を去ることに。

2017年11月に「脱水症状」で倒れてからは「車椅子姿」で公の場に現れるなど「健康面を危惧する声」も、度々上がっていました。

「歌手」としてだけではなく「俳優」としても活躍、また私生活では「何度も警察のお世話になる」など、たくさんの話題を提供してきた内田裕也。

今回は、そんなロック界の大物である「内田裕也の功績について」色々と調べていきたいと思います!

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内田裕也にはヒット曲がない?

「内田裕也のヒット曲は何?」

日本ロック界のカリスマ「内田裕也」。

しかし、巷では「ヒット曲がない」なんて声も囁かれています。

確かに「内田裕也の曲と言えば?」と聞かれても、すぐに楽曲の名前が出てきません…。

「ロッケンロー」や「シェケナベイベー」といった、一発ギャグの方が有名だったりします。

彼が残した音楽作品は、CDシングル「14枚」に、アルバムが「9枚」。(他の人からの楽曲提供だったり、コラボレーションで、内田裕也自身で作った曲と呼べるものは、ほとんどありません。)

その中で「大ヒット」を飛ばした曲というのは、正直見つかりませんでした。

実際に、本人が主催した「ロック・フェスティバル」でも、自分の曲ではなく、他のアーティストの有名な曲を「カバー」していることが多かったです。

時には「オレにはヒット曲がない」と「自虐ネタ」を、ブッこむこともありました。

代表曲がないのに「ロックのカリスマ」と呼ばれているなんて、それはそれで「凄い」や「プロデュース力と思いますけどね^^;

「内田裕也がロックのカリスマと呼ばれている理由は?」

ではなぜ、内田裕也は「ロック界の大物」になりえたのでしょうか?

それはやはり彼の持つ「キャラクター」や「行動力」に引き寄せられた「人脈」や「プロデュース力」による所が大きかったのだと思います。

内田裕也と共に音楽活動(プロデュースを含め)を行ったことがある歌手の名前を見ていくと、錚々たる顔ぶれが並びます。

その一部を見ていきましょう。
  • かまやつひろし
  • 山下敬二郎
  • 寺内タケシ
  • 尾藤イサオ
  • 沢田研二(ザ・タイガース)
  • ジョー山中
  • 桑名正博
  • 宇崎竜童
また、松田優作や、原田芳雄、安岡力也といった名優たちとも、親交を深め、自身も、多数の「映像作品」に出演。

そして、これらの幅広い「交友関係」を生かし、自ら「出演交渉」に当たるなどして「年越しロックイベント」を開催。

「打倒!紅白歌合戦」をテーマにした、このイベントは「1973年」から始まり、現在に至るまで「世界」を股にかけて行われ、内田裕也の「ライフワーク」となりました。

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内田裕也はプロデューサーとしての功績が凄い?

「内田裕也は渡辺プロダクションに所属していた?」

元々は、高校生だった頃に、ロックの神様「エルビス・プレスリー」に憧れて「ミュージシャン」として生きていくことを決めた内田裕也。

関西の「ジャズ喫茶」などで、音楽活動をスタートさせ、上京すると、大手芸能事務所の「渡辺プロダクション」と契約します。

また、プロデューサーとしても「優れた嗅覚」を持っていた内田裕也は、この頃、ジュリーこと「沢田研二」ら、後の大スターとなる「ザ・タイガース」を見出し、彼らを売り出すため、行動を共にしますが、結果的にこれがキッカケで、事務所との間に「軋轢」が生じます。

その後、ザ・タイガースからは引き離され、自身が、会社側に提案した「ロック音楽のプロデュース業」という役割も、当時はうまく理解してもらうことが出来ず、事務所を追われる形となりました。

「内田裕也のプロデューサーとしての功績とは?」

内田裕也が、音楽界に対して残した「功績」といえば、やはり、年越しロックイベントである「ニューイヤーロックフェスティバル」の主催でしょう。

今で言う「夏のフェス」のようなものを「30年以上前」に、既に仕掛けていたのですから。

ただ、内田裕也には「企画力」はあるものの、フェスティバルを開催するのに掛かるコスト面などの「お金の計算をする能力」は無かったようで、あちこちから「借金」をし「自転車操業」でイベントを続けていました。

出演者に対する「ギャラ」が支払われなかったことも、多々あったと言います。

それでも、若手から、ベテランのロック歌手たちが、イベントに参加してきたのは、内田裕也の「人間性」に惹かれていたからでしょう。

そんな内田裕也の「人情味」ある人柄を知っている、レコード会社のトップたちが、裏からこっそり「資金面で彼を援助すること」もあったそうです。

内田裕也は、個人のヒット曲こそないものの、持ち前の「キャラクター」や「行動力」、そして「プロデュース力」で、日本のロックシーンに、その名前を刻んで行き「唯一無二の存在」となっていったのですね!

という訳で今回は「内田裕也はヒット曲はないけどプロデューサーとしての功績が凄い?」について見てきました。

最後になりましたが「内田裕也さんのご冥福を心よりお祈りいたします」。

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