西武ライオンズの若手「源田壮亮選手」と、元乃木坂46のメンバー「衛藤美彩さん」に「熱愛報道」です!
このスクープを受けて、2019年4月12日、源田壮亮選手が所属する「西武」が球団として「真剣交際」の事実を認めるというコメントを発表しています。
源田壮亮選手と、衛藤美彩さんは、共に「26歳」と「同い年」で、地元も、共に「大分県」。
もう、文句のつけようもない「爽やかなカップル」の誕生です。
現在、プロ入り「3年目」の源田壮亮選手は、ルーキーイヤーで「新人王」を獲得すると、その広い守備範囲を武器に「不動のショート」として、西武ライオンズの内野の「守備の要」に成長。
一方の衛藤美彩さんは。乃木坂46の「中心メンバー」として活躍し、今年の3月末で、同グループを「卒業」していますので、アイドル卒業を待ってからの「熱愛報告」となりました。
今後の2人の「恋の行方」も気になる所ですが、野球選手といえば、比較的、若い頃に「結婚」する選手も多いです。
源田壮亮選手も、このまま衛藤美彩さんとゴールインとなるのか?
そして「結婚」となれば、お互いの「家族」についても気になります。
そこで今回は「源田壮亮選手の家族について」調べていきたいと思います!
【西武ライオンズ】源田壮亮の実家の両親の職業や兄弟構成は?
それでは早速、源田壮亮選手の「家族」について調べていきましょう!源田壮亮選手の「家族構成」は「父親」「母親」「兄」の「4人家族」。
兄は、源田壮亮選手よりも「2歳年上」で、現在は就職し「会社員」として働いているそうです。
そして、源田壮亮選手の「父親」は「大分製鉄所」で勤務していると言います。
源田壮亮選手が生まれ育った「大分県大分市北明野」は「新日鉄住金大分製鉄所」のお膝元として発展してきました。
また「新日鉄」が最後に造った製鉄所が「大分製鉄所」で、建設されたのは「昭和46年」。
それまでも、明野地区は「住宅地」として開発されていましたが、その裏には「社宅を中心に発展した」という経緯がありました。
源田壮亮選手の父親「源田光明さん」が勤務している部署は「大分製鉄所」の「安全環境防災部安全健康室」。
どんな仕事を主にしているのかと言うと「社内の安全教育」をメインに行なっており「災害」や「安全」に関する法律などを教えているんだとか!
文字通り、かなり「お堅い」仕事のようですね。
源田壮亮選手の「母親」の名前は「源田靖子さん」と言います。
とっても、仲が良い夫婦だそうですよ!
源田壮亮は地元ではソフトボール選手だった?
源田壮亮選手が、西武ライオンズから「ドラフト指名」を受けた時。両親は、この様に「自慢の息子」について語っていました。
源田光明(父親):「(源田壮亮選手は)ヤンチャな子でした」
源田靖子(母親):「ヤンチャじゃない!」
源田光明(父親):「え、じゃあ何だ?」
源田靖子(母親):「元気だった!」
源田光明(父親):「そうそう、元気な子だった笑」
思わずニヤけてしまうような「微笑ましい」両親のやり取りですね!
実際に、源田壮亮選手はどんな子供だったのかと言うと、ズバリ「一日中、外で遊んでいる子供」だったということ。
彼の周りには、ゲームにハマるような子も居なかったそうです。
朝から晩まで外で遊び「顔を真っ黒にしている所」が想像出来ます。
そんな源田壮亮選手ですが、幼少期に、最初に興味を持ったスポーツは「ソフトボール」でした。
何でも、地元の「明野地区」では、野球よりも「ソフトボール」が盛んなんだそうです。
その理由として考えられているのは、恐らく、大分製鉄所の発足当初の社員たちの間で「ソフトボール」が好きな人が多かったからではないかと言われています。
ちなみに「大分県全体」で見ると、やはり圧倒的に「野球」の人気が高いのですが、この「明野地区」だけは「ソフトボール熱」が非常に熱かったようです。
源田壮亮選手も「小学校3年生」の時に「兄」と共に小学校(明野西小学校)で「ソフトボール」を始めています。
そして、小学校6年生の時には「ショート」を守っていました。
ソフトボールでも「ショート」だったんですね^^;
源田壮亮選手が、野球を真剣に始めたのは「中学生」になってからでした。
地元の野球チーム「明野ビッグボーイズ」に入団した源田壮亮選手は「野球経験」が無いのにも関わらず「1年生」にして「ショート」のレギュラーを獲得。
これは間違いなく「ソフトボールの経験」が活きていますね!
ソフトボールの球は、野球の「硬式球」よりも「重い」です。
小さい頃から、そのボールを使っていた源田壮亮選手は、自然と「肩」が鍛えられていました。
ちなみに、現在「阪神タイガース」で活躍しているベテランの「福留孝介選手」も、小学生の頃は「ソフトボール」をやっていたと言います。
また、野球の「軟式球」だと、ゴロを打った際のバウンドは「大きく跳ねます」。
ところが「ソフトボール」は「硬式球」に近い「弾み方」をするそうです。
通りで、源田壮亮選手は、すんなり「野球」に移行出来たわけです。
更に、ソフトボールは「ベースとベースの間の距離」が、野球よりも「短い」です。
つまり、ソフトボールで「内野」を守る時には、より「送球の素早さ」が求められることになります。
「捕球」してから「送球」するまでの時間を短くする必要があるということですね。
源田壮亮選手の、その「鉄壁の守備力」を武器に、西武ライオンズの顔へと成長しましたが、その原点は「明野のソフトボール」にあったんですね!
というわけで今回は「源田壮亮の実家の両親の職業や兄弟構成!地元ではソフトボール部?」について見てきました。
最後までご覧になってくださって、どうもありがとうございます!