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坂本博之引用元:https://twitter.com

2019年5月15日放送の日本テレビ系「衝撃のアノ人に会ってみた!」に、元プロボクサーの「坂本博之さん」が登場します。

現役時代の坂本博之さんは「平成のKOキング」という異名を取るほどの「ハードパンチャー」。

圧倒的なパンチ力で「日本ライト級チャンピオン」にまで上り詰めると、そのまま「東洋太平洋ライト級」の王座も獲得。

プロ29戦目にして初めての「世界戦」に挑みますが「判定」で敗れ、その後「3回」合計「4度」の世界挑戦に失敗し、惜しくも「世界王者」には輝けませんでした。

世界ランキングの最高位は「WBCライト級1位」。

戦績は「47試合」で「39勝(29KO)7敗1分」となっています。

そんな坂本博之さんと言えば、かなり壮絶な「幼少期」を過ごしていた事でも、当時大きな話題となりました。

そこで今回は「坂本博之さんの生い立ち」について改めて振り返ってみたいと思います!

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坂本博之の生い立ちが壮絶!両親の離婚後にDVで児童養護施設へ?

1970年12月30日に「福岡県田川市」に誕生した坂本博之さん。

「兄弟」は年子の「弟」が1人います。

物心がつく前に両親が「離婚」してしまい「坂本兄弟」は「母方」に引き取られますが、この頃の生活はかなり「困窮」していたようです。

「女手一つ」で子供たちを育てるため、忙しく働いていた母親は、兄弟を「親戚」の元へ預けます。

しかし、ここで坂本博之さんは「家主のおじさん」から、日常的に「殴る」などの「暴行」を加えられることに。

更に、トイレのドアノブは「針金」でロックされ、使えない状態に。

弟が我慢できずにお漏らしをしてしまうと「兄の責任だ!」として、また暴行を受けていたそうです。

小学校に入ったばかりだった坂本兄弟は、まさに「育ち盛りの時期」。

それなのに、満足な食事は与えてもらえず、食事を要求すると、ここでも「暴力」。

小学校の「給食」のみが、坂本兄弟の「食事の時間」でした。

あまりにも「空腹状態」が続いたため、近くの川で「ザリガニ」を捕ったりして口にすることもあったそうです。

その後、弟は空腹で倒れ、坂本博之さんは「拒食症」になってしまいます。

この事がキッカケとなり学校側に「虐待」が発覚。

坂本博之さんは弟と共に、福岡県東区の養護施設「和白青松園」に預けられます。

児童養護施設に保護された坂本博之さんは、用意された「暖かい毛布」と「温かいご飯」を見て「これで死ななくてすむ」と思ったそうです。

「ボクシング」との出会いも、この児童養護施設でした。

食堂にあったテレビで「ボクシングの試合」を見た坂本博之さん。

ガウンを着て華やかな花道を歩き、輝くチャンピオンベルトを締めて入場するボクサーの姿を見て「(自分も)将来、絶対にここに立つ!」と決意します。

そして、坂本博之さんが「小学校3年生」の時に、母親が兄弟を迎えに来て「上京」。

坂本博之さんは、高校を卒業すると同時にボクシングジムの門を叩きました。

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坂本博之は結婚後も子供を二度失う?

「坂本博之は現役引退後に児童養護施設を巡っていた?」

現役を「引退後」は、自分と同じ様な境遇の子どもたちに力を与えるために、全国の施設を回り始めた坂本博之さん。

「ボクシングのグローブを持たせると、ムキになって向かってくる子、大人の姿におびえる子、愛に飢えて飛び込んでくる子…。いろいろいます。大人たちは君たちにひどいことをした。でも、オレたちのように手を差し伸べる大人もいるんだよって。前向きに生きていくキッカケを作ってあげたいんですよね。」

これは坂本博之さん「本人の言葉」です。

最近は特に「子供に対する虐待」のニュースを目にする機会も多いので、余計に考えさせられます。

「坂本博之は結婚後に子供を2人失っていた?」

現役時代に「結婚」している坂本博之さん。

これから「幸せな家庭を築いていこう」という時にも、ある「悲劇」を経験していました。

何と「2度」も、子供に先立たれているのです。

最初の子供は「男の子」でしたが「死産」。

そして2人目は「女の子」で、坂本博之さんがジムで練習していた時に、妻が「子宮破裂」を引き起こしてしまいます。

男の子の方の名前は「京志郎(きょうしろう)くん」。

女の子の方は「夢結(ゆい)ちゃん」と言い、夢結ちゃんは、妻に抱かれながら息を引き取ったそうです。

自身の「幼少期」には虐待を受け、プロボクサーとして成功した後にも、この様な不幸に見舞われた坂本博之さん。

この時ばかりは「神を呪った」と振り返っています。

そんな坂本博之さんですが、2008年には「待望の子供」を授かりました。

「明沙音(あさの)ちゃん」という女の子だそうですよ!

坂本博之さんは「何度でも立ち上がりへこたれない自分の姿」を、同じような境遇に遭って苦しんでいる子どもたちに見せたいと常々語っています。

ちなみに現在は、東京の西日暮里に「SRSボクシングジム」というジムを開き、後進の指導にもあたっているということです。

というわけで今回は「坂本博之の生い立ち!両親の離婚にDVと結婚後は子供を二度失う?」について見てきました。

最後までご覧になってくださって、どうもありがとうございます!

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