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また昭和の大スターがこの世を去っていきました。任侠映画「仁義なき戦い」や、時代劇「遠山の金さん」などで人気を博した俳優、松方弘樹さんが、21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、東京文京区の病院にて、74歳で死去していたことが分かりました。
最後は、内縁の妻の女性(44)が、懸命な看病をしていたということです。
任侠映画などで見せる迫力満点の顔と、バラエティー番組での柔和な笑顔と喋り方のギャップも魅力的でした。
松方さんといえば、いわゆる昔の大スターというイメージそのままで、今の時代でしたらもっと騒がれていたんだろうな、という豪快伝説に事欠きません。
芸能界の人が、完全に違う世界の人間だと思わせるような時代の芸能人という感じがします。
今回は、そんなエピソードを紹介していきたいと思います。
松方弘樹の伝説や豪快なエピソードと武勇伝!
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松方弘樹の酒豪伝説
数々の酒豪達がいる芸能界の中でも、皆口を揃えて「ナンバーワンの酒豪」だと言うのが、松方弘樹さん。17歳で、映画業界に入りお酒も覚えていったという松方さん。(もう時効ですねw)
それからあっという間に「2升瓶」を軽く空けるように。
当時の先輩から、何度も潰されながらも飲むという「サイヤ人」的な鍛えられ方をして、ドンドンと強くなります。
基本松方さんの飲み会は、ブランデーを1人1瓶は空けるというのが、暗黙のルールだったようです。
俳優の哀川翔さんは、自身が24歳から33歳の頃までの約10年間、365日中360日位は六本木で飲んでいたと語っていますが、そんな哀川さんでも松方さんの飲みっぷりには驚いたそうで、松方さんは当時年間2億円以上飲み代に使っていたと証言しています。
松方弘樹のプレイボーイ伝説
松方さんは派手な女性関係でも有名でしたね。10代で、プロ相手に童貞を捧げた松方さんは、すぐその事を母親に報告したといいます。(カワイイですねw)
そこから松方さんのプレイボーイ伝説は始まります。
ある時、松方さんが凄い綺麗な女性とお付き合いしていて、その女性の部屋に行った時に、突然「ドンドン」とドアを叩く音がして、女性にクローゼットに隠れるように言われたといいます。
その時やって来たのが、こちらも昭和の大スター「力道山」だったこともあるとか。
「1000人斬り」という噂があったために、本人にインタビューすると、「それは誤解だ。一生で1000人じゃなくて、俺それ1年でだったんだよ」と、あっさり告白したり。(どんなペースなんでしょうか?)
仁科亜季子さんと結婚していた時も、松方さんのプレイボーイぶりは変わらず、松方さんが海外ロケに行くときは仁科さん自ら、コンドームを一ヶ月分カバンに入れて送り出していたとか。
さらに、「福岡のホステスの部屋にパンツ一丁でいるから、着替えを今すぐ持ってきてくれ」と、仁科さんに電話したことも。
なんというか、時代が違いますね。
松方弘樹の子供は何人?父親は?
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松方さんと仁科さんとの間に生まれた息子である、仁科克基さんによると、複数の女性との間に6人の子供がいるということです。克基さんは、知っている範囲でと前置きした上で、松方さんの子供について、最初の妻との間に出来た姉2人と兄、仁科亜季子さんとの間に出来た、自分と妹、さらに認知した弟の計6人いると語っています。
子供達が全員揃った事はないし、弟とは会ったこともないそう。
最後に松方さんは両親も有名な方で、父親が俳優の近衛十四郎さん、母親も女優の水川八重子さんという昭和時代に大活躍した役者さんだったということです。
松方さんの弟である目黒祐樹さんも俳優として活躍しているので、まさに芸能一家という事になりますね。
惜しまれつつこの世を去った松方さん。
もしかしたら、最期に子供たちが全員揃ったのかもしれませんね。
これからは、このような型破りなスターは時代的にでてこないと思うと少し寂しいです。
どこか憎めないキャラクターで、人気を博した松方弘樹さんのご冥福をお祈りします。