女子フィギュアスケートの浅田真央さんの引退記者会見が、12日に開かれました。
時折笑顔を見せながらの会見となりましたが、やはり最後には感極まって涙する姿も。
その姿を見て、あの「ソチ・オリンピック」でのフリープログラム後の涙を思い出した方も多いのではないでしょうか?
そんな記者会見の中で、ある質問が話題に。
それは「トリプルアクセルに声をかけるとしたら?」というもの。
「トリプルアクセル」といえば、浅田さんの代名詞の大技ですね。
まさかの、トリプルアクセルの「擬人化」に浅田さんもキョトンとし、「トリプルアクセルに声を書けるんですか?難しい」と苦笑い。
さながら「IPPONN グランプリ」のお題のような雰囲気になっていました。
そこで、浅田さんと「トリプルアクセル」について調べていこうと思います。
浅田真央はトリプルアクセルをなぜ?いつから?
以前、不思議に思ったことがあります。それは浅田さんが世界選手権の前のインタビューで答えていた言葉。
「こっち(遠征地)に来てから一度も跳べていなかったので、全く感覚を失っていました。でも日本ですごく練習してきたので、跳びたかったんです。」
大事な世界選手権で、練習で跳べていない技になぜそこまでこだわるのか?
この世界選手権の結果は、あえて「トリプルアクセル」に挑み、ショート、フリー共に失敗。
結果は、6位と不本意なものになっています。
この時は、日本での練習では、ほぼ100%成功していましたが、遠征地であるフランスのニースに渡ってからの公式練習では、約50回跳んで、成功は0。
当初は、「未完成の場合は回避して、演技全体を綺麗に滑る」ということを、浅田さん陣営は目標としていました。
しかし、浅田さんは「(トリプルアクセルを)跳ぶことで、私自身を強く持てるもの。ないと全体のモチベーションが下がってしまう。」と強く主張し、本番でチャレンジすることに。
完全に「トリプルアクセル」に魅せられています、というか、取り憑かれているようなエピソードですね。
浅田さんはいつから「トリプルアクセル」にこだわるようになったのでしょうか?
「トリプルアクセル」を、世界で初めて成功させたのは、アルベールビル・オリンピックの銀メダリスト、伊藤みどりさん。
女子では成功例が少なく、難しい技術が求められるため、成功すれば高得点を獲得出来ますが、その後、この技に挑戦する選手はあまりいませんでした。
そんな中、伊藤さんのジャンプに憧れ、「わたしもあんな風に跳びたい!」と、目をキラキラさせていたのが、幼いころの浅田さん。
まだ小さい頃から、トリプルアクセルに挑みます。
きっと、この頃から「浅田さんとトリプルアクセル」の長い戦いは始まっていたのでしょう。
浅田さんを一躍有名にした、15歳で挑んだ「グランプリファイナル」。
この時のフリーの演技で、見事「トリプルアクセル」を決めて、初出場にして初優勝を飾ります。
そして迎えた、2010年のバンクーバー・オリンピック。
女子選手として、初めてショート・プログラムで1回、フリーで2回の、計3回「トリプルアクセル」を成功させます。
結果は、銀メダルでしたが、確実に世界のトップスケーターとしての名を手にしました。
復帰後の浅田真央とトリプルアクセル
永遠のライバル、キムヨナさんとの異次元レベルの戦いとなった、バンクーバー・オリンピック。ここから女子フィギュアスケートのレベルが、グッと引き上がった印象です。
その後も、難しいトリプルアクセルに挑み続ける浅田さん。
最後のオリンピックとなったソチでは、前半のショート・プログラムの冒頭のトリプルアクセルで転倒。
あの時は日本中が「あっ!」と声を出してしまったでしょう。
その後も、流れに乗れず、16位と大きく出遅れてしまいます。
結果、フリーで素晴らしい滑りを見せてくれたものの、メダルを逃す要因となりました。
ソチ・オリンピック後の休養から復帰した浅田さん。
復帰2年目となった今シーズンでは、トリプルアクセルを成功させられない時期が、長く続きます。
その原因は、左膝の怪我に加え、年齢を重ねる事による体の変化。
確かに、素人目に見てても、体が重そうな感じがしました。
浅田さんを長い間指導してきた、佐藤信夫コーチは、「難度の高いトリプルアクセルにかける練習時間のいくらかを、ほかのジャンプやステップ、スピンなどの練習に充てたら、もっとよいものになるのではないかと思う気持ちも正直あった」と話しています。
しかし、その一方で、浅田さんのトリプルアクセルへの想いの強さ、そして、練習を重ねていくことでジャンプそのものが滑らかに、進化に繋がっていったとも感じていました。
昨年の12月に行われた全日本選手権が、結果として浅田さんの最後の大会となりましたが、この時も状態が万全ではない中、トリプルアクセルに挑んでいます。
この時の事を振り返り、自分らしく終われたと、浅田さんは語っていました。
トリプルアクセルの女子の成功者は?
それでは、女子でトリプルアクセルを成功させたと、公式に認められている選手について見ていきましょう。まずは、アルベールビル・オリンピックで、女子で初めてトリプルアクセルを成功させた、伊藤みどりさん。
そして、2人目の成功者。
アメリカのトーニャ・ハーディングは、1991年の全米選手権で成功させています。
3人目は、日本人スケーターの中野友加里さん。
中野さんは、2002年のスケートアメリカでトリプルアクセルを決めています。
更に4人目は、ロシアのリュドミラ・ネリディナ。
何と、中野さんと同じ日、同じ大会、しかも中野さんが滑った後の演技で、完成させています。
凄いタイミングです。
そして、5人目が「トリプルアクセルの申し子」といってもいい浅田さんです。
6人目は、ロシアのエリザヴェータ・トゥクタムィシェワ。
2015年の世界選手権のショートプログラムで、トリプルアクセルを見せています。
最後に7人目が日本人の、紀平梨花さん。
まだ14歳ということにも、驚きです。
年齢的に、次の平昌オリンピックには出場できませんが、これからの日本を背負っていくスケーターとなるでしょう。
浅田さんが登場した時の事を思い出しますね。
世界中で見ても、これだけしか成功者がいないという所に「トリプルアクセル」がいかに難しい技なのか?という事が分かりますね。
トリプルアクセルの成功にこだわり続け、日本を背負うスケーターになり、長い間、世界のトップで活躍を続けた浅田さんは、たくさんの方を魅了し、日本にフィギュアスケートブームを巻き起こしました。
最近は、浅田さんの「トリプルアクセル」こだわる姿に影響を受け、10代の選手たちが、果敢に「この技に挑戦しよう」という動きも出てきているみたいです。
浅田さんが、伊藤さんに憧れ、魅せられた「トリプルアクセル」は、着実に次の世代に受け継がれているのですね。