1971年の渋谷暴行事件では、警察官が殉職していますが、その時の実行犯として殺人の容疑で全国指名手配されていた、中核派の活動家である大坂正明容疑者とみられる男が、公務執行妨害の疑いにより、広島県内で大阪府警に逮捕されています。
今年は2017年なので、実に46年間、全国に指名手配されながら、逃げ続けていたことになります。
詳しいことは、警察の取り調べや、DNA鑑定の結果を待つこととなりますが、その前に「渋谷暴行事件」について振り返りたいと思います。
渋谷暴動事件とは?分かりやすく!
「渋谷暴行事件とは」
事件が起こったのは、1971年11月14日。沖縄返還協定の批准阻止を訴える「ゼネラル・ストライキ」。
過激派の学生、その数、約5000人が渋谷駅周辺で起こした暴動事件となります。
中核派と呼ばれる、「極左暴力集団」が数百人規模の活動家を率いて、機動隊に火炎瓶を投げつけたり、鉄パイプで殴りかかるなどし、派出所や、路上の車に火をつけ、炎上させます。
当時、新潟県警から派遣されていた、中村恒雄巡査(当時21歳)が、中核派部隊の襲撃に遭い、命を落としています。
この時、中村巡査は、鉄パイプで滅多打ちにされてから、火炎瓶を投げつけられて火だるまとなり、苦しみ、のたうち回っていたといい、他の機動隊員が駆けつけた時には、下半身は焼けただれ、上半身からも煙が湧き上がっている状態だったといいます。
狂気です。
このような事件があったなんて、考えるだけでも恐ろしいですし、正義も何もあったもんじゃないです。
犠牲者となってしまった中村巡査の慰霊碑は、東京都渋谷区神山町にあります。
「渋谷暴行事件 中村巡査の慰霊碑」
この事件により、300人以上の学生が逮捕されています。
更に、犯人と特定された中核派の学生7人のうち、6人が逮捕されていて、残る最後の1人が、大坂正明容疑者だということです。
渋谷暴動事件・中核派とは?分かりやすく!現在の活動や大坂の顔は?
「中核派とは」
渋谷暴行事件を語る上で出て来る「中核派」とは一体?もの凄く分かりやすく見ていきましょう。
中核派というのは、「共産主義国家を作ろうとしている過激派組織」ということになります。
国家を頂点として、全ての国民が強制的に等しく平等、という政治体制が共産主義。
共産主義とは、自由な資本主義、民主主義とは真逆の考え方ですね。
現在、世界を見渡してみて、代表的な「共産主義国家」といえば。中国や北朝鮮が挙げられるでしょう。
中核派とは、その共産主義革命を起こすことを目的としたグループ。
彼らは、目的のためには手段を選びません。
テロやゲリラ闘争といった、非常に過激な行動を取ってきました。
そんなグループを指して、マスコミは「過激派」と呼んでいます。
今でも、約12000人の過激派、そのうち約3000人の「中核派」が活動中だといいます。
「現在の活動は」
かつては、東大安田講堂事件や、成田空港反対闘争(三里塚闘争)などで、警官隊と衝突を繰り返しました。同時に、内部抗争やリンチも横行し、「あさま山荘事件」なども起きています。
更には、「日本赤軍」のように、海外で無差別テロを起こしたグループもあります。
一般市民も殺傷されたことで、過激派を支持する国民は、ほとんどいなくなったために、近年では、表立った行動は影を潜めています。
現在も公安警察の監視下に置かれている「中核派」。
警察による見張りが続けられる中、集団生活を送っています。
「現在の大坂正明の顔は?」
今回、「公務執行妨害」で逮捕された、大坂容疑者とみられる男ですが、年齢は67歳になっています。となると指名手配の写真とは別人となっているでしょう。
指名手配の写真では、現在の大坂容疑者の顔を想定したものも作成されています。
「現在の大坂正明容疑者の顔?」
今後、取り調べの進展などによって、現在の大坂容疑者の姿も確認出来るのでしょうか?
捜査の行方が気になります。